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「研究所情報」第44号 2008年2月29日

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「太鼓の胴銘」に摂州大坂渡辺村河内屋・太鼓屋の名が

 長与町のホームページに、同町本川内郷の郷土芸能「琴の尾太鼓」が紹介されている。この地区にはかつて本川内浮立があり明治末期に途絶えたが、昭和62年地区集会所で保存されていた太鼓を生かして和太鼓による組太鼓を編成し、新しい郷土芸能「琴の尾太鼓」を創生したとされ、また、この際二つの太鼓の張り替えが行われ、胴内に、元禄、享保、寛保等の年号とともに張り替え場所・人の名前が記され、昭和の張替えで八回目ともあった。
 その後、太鼓銘には、次の記載があることがわかった(江戸期のみ)。
@「元禄拾壬午年正月吉日 摂州大坂渡邉村 河内屋吉兵衛・正次 (花押)」
A「享保一一歳午二月吉日 此張摂州大坂渡 邉村 細工人太鼓屋 検□(?)」
B「寛保三亥癸年六月吉日 摂州大坂渡邉村 北之町 河内屋吉兵衛張所 此張替え」
C「安永八年 亥ノ二月吉日 此張替大坂 渡邉村北之町 太鼓屋長兵衛 花押?)」
 また、幕末期のものと思われる、「午八月吉日 はりかえ 肥前国長崎皮屋町 細工人○○(花押?)」の記載もある。
 大坂渡辺村といえば、江戸時代西日本一帯から送り出される皮の集荷地として有名で、太鼓製作の拠点でもあった。
 この太鼓が長与町本川内郷に、どのように伝えられ保存されていたのかは明らかではない。あるいはある時期、どこからか持ち込まれたのかも知れない。しかしながら、この胴銘は、改めて渡辺村の太鼓産業興隆の事実と、全国にこの村で作られた太鼓が轟いていたことを私たちに教えてくれる。
 また江戸時代、太鼓を通して大坂―長崎のルートがあったことを想起させるのである。

 コラム
 樋口輝幸先生がお亡くなりになった。いうまでもなく熊本県部落解放研究会の事務局長を永年勤められた方だ。高校教員でありながら、研究会の事務局を担い、同時に熊本の部落史研究に情熱を注がれた。もう、20数年になろうか、先生にお会いしたのは。いつも笑みをたたえながら、しかし教育や研究、運動には厳しい面をお持ちの方であった。一昨年(06)8月、大分で第25回九州地区部落解放史研究集会が開催され、先生は「熊本藩近世被差別部落の皮革業について」をテーマに、江戸時代、福岡や大阪(渡辺村)との皮革流通の問題を報告され、昨年3月同会の研究誌に掲載された。これが遺稿になったのだろうか。昨年6月ぐらいから治療が行われたというが、8月にもお会いしているのに、そんなに病気が進んでいるとは本当に気が付かないでいた。2月2日(土)、自宅にいた私は突然訃報に接した。葬儀には、多くの教え子たちの顔があった。(あ)

◆第3回 ながさき駅前じんけん講座
「風見 治さんと語る」

 2月16日(土)長崎県人教育権啓発センターにおいて、県人権・同和対策課主催の講座が開催されました。作家、画家としてご活躍される風見さん、これまた作家・中学校教師の田中良彦さんが歌を交え、文学をふるさとをそして差別を語りました。コーディネーターは本会の阿南重幸。
 風見さんは、1932年の長崎生まれ。11歳でハンセン病と診断され、1952年20歳で菊池恵楓園(熊本)に入所、62年星塚敬愛園(鹿児島)に転園。作家の故島比呂志と交流、86年「鼻の周辺」が第17回九州芸術祭文学賞最優秀作を受賞(96年同名書を海鳥社から刊行)。田中さんは、長崎県人権教育研究協議会の会長、中学校教諭であり、ボランティアグループ「彗星社」を主宰、作家として「泥海ニ還ラズ」「ぼくたちのしごと」などの著書がある。
 生きることをどう表現するのか(風見−談)
 風見さんは著書『鼻の周辺』の冒頭に「祝福」という作品を置いた。この作品は1992年「火山地帯」90号に掲載された作品で、86年「鼻の周辺」から6年後の小説である。作品の趣が相当異なる。過去を「軽妙(・・・・)」に置き換えた感さえ覚える。風見さんはこの作品がどうして『ハンセン病文学全集』に収録されなかったのか疑問を呈した。ちなみに編者の加賀乙彦氏は解説で、作家としての風見治を絶賛している。
ふるさとを語る
 風見さんはこの日、「ふるさと」について、それほど語らなかったようにある。彼の今ひとつの著書に『季・時どき(とき・ときどき)』がある(海鳥社、02年6月)。まさに近くにありて遠い「故郷(ふるさと)」なのである。「帰るところ」(『姶良野』〈星塚敬愛園入所者自治会機関誌〉07年)というエッセーが送られてきた。「話をすること」について、「ハンセン病を発病して60余年を生きたというだけで、辛さ悲しさに満ちているようなものだし、今更恥をさらして語って何になるかと心の葛藤もある」といい、「半世紀も超える療養所での生活は、故郷での私の存在を空白にしてしまっている。私の心はそのことに渇くのである」とも、「渇いた心を少しずつ癒してくれるのが、ここに書いた人々であり、その他の故郷の人との関係である」と書いている。
「病気=差別ではなく人間の問題」
 「差別」と括れない問題なのである。国家の、社会の、結局は人間に係わってくる。

 田中さんは風見さんと語らい、合間に4曲披露して頂いた。「誰もいない海」「早春賦」そして、自身の作「心の叫び」を「語りきれないことが、語りたいことなんだ」というフレーズに思いを込めて。兎も角、この人も超人だ。(あ)

第11回部落問題学習・第7回人権総合学習交流会
テーマ「『人権の町づくり』につながる 豊かな人権教育の実践を交流し合おう」


 2月22日(金)諫早市文化会館において、長崎県人権教育研究協議会・長崎県・長崎県教育委員会の共催で、実践交流会が開催された。全体集会の後、約80名の参加者は、第1〜第4分散会に別れ、それぞれ3本のレポート報告(第4は4本)をもとに論議が交わされた。
 このうち、第4分散会では、西彼時津中の御所智靖さんと対馬佐護中の鬼塚喜隆さんから中学社会科歴史分野での部落史授業また公民的分野での「ハンセン病元患者」への差別撤廃を目指す授業、佐護中職員集団からは、人権総合学習の取り組み、県教育センターの傳均さんからは、部落史学習指導案の作成について報告があった。
御所さんは、「中世部落史をワークショップ型授業でどう教えたか」という興味深い授業実践で、「『わかる』(知的理解)も大事だが、それ以上に『本当にわかる』(腑に落ちる)」事を重視し、「感情を伴った知的気づき」を可能とすることが目的とされた。子どもたちに配布されるワークシートには、龍安寺の石庭に刻まれた名前について、なぜ彼らが名前を残したのかを「喜」「怒」「哀」「楽」のコーナーに分けて考えさせた。鬼塚さんからは、江戸時代の身分制の授業で郷土対馬における部落史を題材に「人権教育の四側面」を盛り込んだカリキュラムが提示された。「ハンセン病問題」の授業も四側面の展開が示された。両者ともパワーポイントやビデオ教材を使い、視覚を重視し「わかる」が意識された授業展開である。
 鬼塚さんの所属する佐護中では、対馬市教育委員会が「人権教育の地域推進事業」の研究指定を受け、その推進校として委嘱され06年から08年まで研究と実践を進めている。1年目は「全教師が人権教育の4つの側面を意識した研究授業と授業研究を実践」2年目のテーマを「互いに認め合い、高め合う学校・学級集団作り」として、全校劇の取り組みを行っている。研究テーマと授業が見事にマッチしていることに驚かされた。
傳さんからは、二年間にわたって取り組まれた授業案作りが紹介された。これは、長崎でも報告されるいわゆる「賤称語発言」をいかに克服するのか、が目的とされる。教師の部落史認識の転換が必要とされている。ポイントとして、@近世ー差別されたか理由を問わないA近世ー制度として差別が強化されたB近代ー差別の質が違うC近代ー差別解消の主体者は誰か、等が挙げられた。
鬼塚先生の「人権教育の四側面」
@人権としての教育=「わかる授業」づくり
A人権についての教育=さまざまな人権問題につい  ての知識を深め、問題を見抜く力を付けること。 B人権を通じての教育=授業に安心して望むことが  できる雰囲気作り
C人権のための教育=人権が大切にされた社会を作 ろうとする態度を育てる。そのためのきっかけ作り。

【今期のフィールドワーク】

佐賀県私立中高人権・同和教育研究会(11月6日)
大分市8地区人権教育推進連絡協議会(11月8日)
セミナー「企業と人権」(11月15日)
福岡市有住地区人権教育推進連絡協議会(11月27日)
三菱人権啓発連絡会(12月6日)
福岡有志(12月30日)
ながさき人権フェスティバル(1月12日)
唐津市北波多地区人権同和教育推進協議会(1月28日)
福岡県人権・同和教育研究協議会(2月5日)
長崎県人権教育中央研修会 西海市・西彼杵郡人権教育研究大会(2月6日)
甲賀・湖南人権センター(2月11日)
飯塚市人権・同和教育研究協議会(2月15日)

2007年度第4回部落解放学習会
「なんか変だよ人権教育」
講師:川口泰司 さん

期日:3月11日(木)18時30分
場所:銭座アパート集会室

 1978年、愛媛県宇和島市の被差別部落に生まれる。小学6年の時、「ブラック差別」と勘違いして立場を知る。
 中学時代、同和教育に本気で取り組む教師との出会いから、解放運動に取り組むようになる。高校時代は宇和島市内の部落出身高校生を集め「高校生友の会」結成、初代会長となり、大学生時代は大阪学生部落解放連絡協議会事務局長として活躍。
 卒業後は、(社)部落解放・人権研究所啓発企画室、大阪市新大阪人権協会を経て、現在は山口県人権啓発センター事務局長。仕事の合間をぬって、執筆や全国各地で講演活動を行っている。

問い合わせは、長崎市人権教育研究会(095-820-1311)

共催:長崎人権研究所、部落解放同盟長崎支部、長崎市人権教育研究会

 最近の受入図書(●は寄贈)
○『鼻の周辺』(風見 治,海鳥社,96.4)
●『神奈川の部落史』(同編集委員会,不二出版,07,9)
●『おとなの学び』(部落解放・人権研究所,08.3)
●『大阪の子どもたち』(大阪府人権教育研究協議会,08.3)

(定期刊行物)−(一部)
●『部落解放研究』第179・180号(社 部落解放 ・人権研究所)
●『ひょうご部落解放』第127号(社 ひょうご部落解放・人権研究所)
●『部落解放』第591号〜595号(解放出版社)
○『ヒューマンライツ』第237〜239号(社 部落解放・人権研究所)
○『こぺる』NO178〜180号(こぺる刊行会)
○『ウィンズ』第52・53号(福岡県人権・同和教育研究協議会)
●『リベラシオン』第128号(社 福岡県人権研究所)
●『部落解放研究くまもと』第54号(熊本県部落解放研究会)
●『明日を拓く』第71号(東日本部落解放研究所)
●『GLOBE』第52号(財 世界人権問題研究センター)
●『月刊志賀の部落』第411号〜415号(財 滋賀県同和問題研究所)




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