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「研究所情報」第52号 2010年03月15日

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研究所の体制が変わります

 本研究所は、1979年11月に設立して以来、2003年までは長崎県部落史研究所として県内部落史資料の調査研究等、2004年以降は特定非営利活動法人長崎人権研究所として人権問題等の調査研究並びに啓発等に関する業務委託を県・市町村から受託し、調査研究活動を推進してきました。また、人権に関する県民意識調査・セミナー「企業と人権」等の業務委託、時代に即応する人権講座の開催、フィールドワーク研修の受け入れや講師派遣等の事業にも取り組んできました。その成果は、機関誌「ながさき・部落解放研究(もやい)」等で公表してきました。ここまでやってこれたのは、本研究所の活動にご理解とご支援くださいました関係機関・団体及び会員の皆様のおかげであります。あらためて、深く感謝申し上げます。
 しかしながら、県・市町の業務委託も本年3月末をもって終了することとなり、従来のままでの活動が困難になってきました。そのため、理事会等で今後どのようにすべきか議論を交わしてきました。その結果、機関誌の発行や専任職員の配置等は財政的に困難であると判断し、2010年4月以降、機関誌は廃刊、専任職員は置かないということになりました。このような状況に至ったことは誠に残念ですが、今なお部落問題など多くの人権問題が存在する中で、反差別・解放に向けた取り組みを一時も停滞させるわけにはいきません。財政・事務局体制等、困難な課題も多く残されていますが、4月からは新しい事務局体制で活動してまいります。また、フィールドワークにおける参加費及び会員の皆様からの会費が財政上の中心となりますので、皆様のこれまで以上のご支援、ご協力をお願いいたします。
 なお、新体制については総会において決定しますので、詳細については「研究所情報」の次号でお知らせします。

 コラム
▼雑誌『部落解放』で、高山文彦「新破戒」の連載が始まった。高山は『火花ー北条民雄の生涯』で大宅壮一ノンフィクション賞を受け、その後『水平記』、『エレクトラー中上健次の生涯』等、差別問題と対峙してきた。『水平記』のあとがきに、「彼が長崎の原爆で母親を失った水平社の若い同人に書き送った短い一文」が同書の筆を執らせたと記す。ー生き抜け、その日のために。ー二〇〇〇年亡くなった磯本恒信(解放同盟長崎県連初代委員長)の座右の言葉だ。しばしば震えるような講演で述懐した。原爆で母・姉を亡くし、原爆孤児として、戦後を生き抜き、労働運動や原水禁運動に身を投じていた磯本は、一九七一年「差別古地図」事件に出会う。市内の被差別部落は原爆で壊滅し、住民は離散した中で解放運動を立ち上げた。磯本の「その日」がここにあったかのように。(あ)

□□ 人種起源ということ □□□□□□□□□□□□□□

 被差別部落研究の大きなテーマがこれまで、いわゆる「部落の起源」と言われるものです。現在は、中世の時代に、社会的分業のもとで派生してきた集団の中に、「非人」と総称される「ケガレ」に関わる人々が生まれ、彼らを中軸として、江戸の初期に身分が編成されたと言われています。「日葡辞書」(1603年)に、すでにそれらの集団が記載されています。江戸幕府は、百姓や町人との「違い」を際だたせるために、身形や交際上の規制を行い、また治安維持に登用しています。皮革製造も、彼らの特権でした。
根拠のない起源論
 被差別部落の生成(起源)について、従来まことしやかな「説」が囁かれていました。
 ①異民族 ②貧乏 ③犯罪人の子孫 ④平家の落人等ですが、このうち、②③④は、少し考えれば、そうではないことがわかります。また、⑤職業や、⑥宗教にその起源を求めたりもしました。江戸時代被差別民の職業は多様でしたし、宗教も同様です。この中で、最近までといいましても数十年前まで根強かったものが、異民族起源です。最も世間に流布した類は「秀吉の朝鮮征伐」のときに朝鮮から捕虜として連れ帰った人々の子孫だというわけです。これも少々考えれば、そうでないことは明らかです。なぜなら薩摩や有田・萩には、この時朝鮮人陶工が技術を伝えますが、彼らの住む地域が被差別部落とはなりませんでした。
 では、なぜこのような「えせ起源」が伝わるのかといいますと、そもそも、「部落」を差別(社会的に排除)する理由がないからです。しかし、現実には、差別があります。したがって、人びとは彼らを差別(排除)する説明がほしかったのです。これらの起源論は、差別するための「差別の理由付け」です。そして、これらを否定するものとして、登場した起源論がいわゆる「政治起源説」といわれるものです。つまり、時の権力にその責任を与えたのです。
 「差別」の理由を異民族に求めた
 この異民族起源は、もともと「人種起源」を基にしています。私たちが普通人種といいますと、アジア系・アメリカインディオ(ネイティブ・アメリカン)の黄色人種(モンゴロイド)、アフリカ等の黒色人種(ネグロイド)、ヨーロッパや北アメリカ等の白色人種(コーカサイド)をいいます。しかし、ここでいう「人種」とは、違った意味を持ちます。
 明治維新の際、江戸時代の身分制が撤廃されますが(解放令)、このとき、大江卓という高知県生まれの政治家が「賤民制度」を廃止するために政府に「建白書」を出しています。彼は、19歳のときに長崎に遊学し、討幕運動にもかかわり、後に融和運動の指導者となる人物ですが、彼はその建白書で次のように述べています。
 「却ってこれを賤視・軽蔑するに至るといえどももとその管轄内の種類たること詳明なり。方今皇神にして士族・平民となり、蕃種にして華族となるもの少なからず。」ここでいう「蕃」とは「外来」を意味することばだそうですが、つまり当時は外来といいましても中国・朝鮮ですがその子孫が華族になっているというわけです。「皇種」とは、天皇家を指します。また、神種とはその他の神々の子孫を指すのだそうです。つまり、日本人はこの皇・神・蕃で成り立っており、「賤民」とされた人々も、この範疇にあるというのです。したがって、次のように続けます。「然らば、すなわち天地の通儀に基づき、平民同一の権利を与え、同一の民法に従がわしむべき、当然たり」
 江戸時代の身分制度は撤廃されますが、政府の思惑を別にして、厄介な問題が起こってきます。一度身分の上下(内・外)にとらわれた社会は、なかなかその呪縛から抜け出すことができません。先の解放令に反対する一揆が各地で起きます。「維新」という新しい時代を好ましく思わなかった人びともいたのです。被差別部落とされた地域は、江戸時代に認められていた「身分的特権」を失い、生活はもっと苦しくなっていきました。「貧困」とイメージされる「被差別部落」の実態は、実はこの時代から始まったのかもしれません。
 そこで、政府はこれらの地域の救済に乗り出します。これを部落改善運動といいます。このとき、これらの地域に与えられた名称が「特殊部落」あるいは、「特種部落」です。この時代ヨーロッパから紹介されたダーウィニズム(進化論・自然淘汰論)の影響か、被差別部落を「遅れた地域」「社会的弱者」と位置づけ、その根拠を「異種」「異民族」に求めたのです。また、貧困であることは、「自ら招く」ものだとして優勝劣敗だとしました。ここでいう「種」とは殆ど「民族」と言い換えられますが、「違う種類の人間」だとされたのです。当時日本は、福沢諭吉の「脱亜論」に示されるように、アジア蔑視の風潮が覆うようになります。アジアを踏み台にして西洋諸国と肩を並べようと言うわけです。これを日本型華夷意識というのだそうですが、この風潮あるいは、政府のアジアへの眼差しが、被差別たる所以だと考えられたのです。ここに、人種=民族起源が近代的な装いを持たされて登場したのです。
 明治政府が、被差別部落の改善のため、国策として融和事業と呼ばれる政策を打ち出したのは、明治40年代でした。先の「特殊(種)部落」という名称は、この頃から使われるようになりました。『五島編年史』に、五島藩主であった五嶋盛光子爵が、「明治40年内務省嘱託となり我が国の社会政策、特に水平社研究に先覚を志し又出獄保護、貧民救済に貢献するところあり」とあります。どのようなことを行ったか詳細は不明です。
「起源」を辿ることが差別克服の道ではない
 ただ注意しないといけないのは、1965年に出された「同和対策審議会答申」の次のくだりです。当時「異民族起源」が社会の中に残っていた時代でした。したがって、「世人の偏見を打破するためにはっきり断言しておかなければならないのは,同和地区の住民は異人種でも異民族でもなく,疑いもなく日本民族,日本国民である,ということである。」などという文言が書かれました。どうでしょう。何かおかしいと感じません。日本民族・日本人が強調されれば、ではそうでない人びとへの差別は是認されるのでしょうか。近代社会においては、差別の理由を「異民族」におきました。同対審答申はこの論理を追認したと言えば言い過ぎでしょうか。
 「部落の起源」という言い方は、最近では余り言われなくなりました。「人(集団)」の起源なのか、「地域」の起源なのか、「社会意識」の起源なのか、そこには種々の要素がはさまれます。そして、現在の社会意識と江戸期・明治期のそれは違うものと考えてよいと思います。
 野中広務と対談した辛淑玉は、差別意識の存在について、次のように言います。
 「差別は、いわば暗黙の快楽なのだ。例えば、短絡した若者たちが野宿者を生きる価値のない社会の厄介者とみなし、力をあわせて残忍なやり方で襲撃する時、そこにはある種の享楽が働いているのだ。それは相手を劣ったものとして扱うことで自分を保つための装置でもあるから、不平等な社会では差別は横行する。そして、あたかも、問題があるのは差別される側であるかのように人々の意識に根付き、蓄積されていく。(中略)
他方、差別される側は、差別の理由を求めてさまよう。その理由をなくせば差別されなくなると考えるからだ。しかし、差別するための「理由」は、いくらでも付け足される。結果、自らの努力ではどうにもならない状況が作り出され、多くは無力感を植えつけられていく」(辛淑玉・野中広務『差別と日本人』(角川書店))
 つまり、いわゆる「起源」を歴史的に尋ねても、そう意味はないのではないかということです。現在の「差別」の問題は、現在に社会状況を反映しているわけで、そこにメスを入れないと解決には至らないということではないかと思います。
(研究所・会員)

◆人権関係新聞記事 ひろい読み
2009年11月~2010年2月(この欄は、日刊紙の記事をもとに作成しました)

09/11/18 県内初の裁判員裁判、6人審理に臨む 長崎地裁で初公判(長崎)
 県内初の裁判員裁判となる強制わいせつ致傷罪と強制わいせつ未遂罪に問われた事件の初公判が17日午後、長崎地裁(松尾嘉倫裁判長)であった。同日午前の選任手続きで男性、女性各3人の裁判員と男性の補充裁判員3人が選ばれ、裁判官3人とともに審理に臨んだ。19日までの3日間の審理と非公開で量刑などを協議する「評議」を経て、20日に判決を言い渡す。

09/11/20 県内労働相談5000件超す 上半期、賃金不払いや解雇目立つ(長崎)
 長崎労働局と県内の労働基準監督署に寄せられた本年度上半期(4~9月)の労働相談件数が5千件超に上り、過去最多のペースで推移していることが、同局のまとめで分かった。不況を反映して賃金不払いや解雇、長時間労働などに関する相談が目立っているという。

09/11/27 来春の就職 大苦戦 高校生4割大学生6割 内定まだ(朝日)
 世界的な不況のあおりで、県内でも来年3月に卒業予定の高校・大学生の就職状況が大幅に悪化している。長崎労働局によると、10月末時点で高校生に対する県内の求人は1870人(昨年同月比32.4%減)にとどまった。大学生に対する県内外の求人は5万524人(同9.3%減)だった。内定率は高校生で61.7%(同8.4ポイント減)、大学生で40.9%(同10.0ポイント減)と大きく落ち込んだ。大学生の場合、10月1日現在の全国の内定率は62.5%、九州全体は59.7%だった。

09/11/27 長崎県内の小中高校 新型インフル2万人突破 医療現場も混乱(西日本)
 新型インフルエンザ感染の疑いがある子どもの患者数が26日、県のまとめで累計2万人を突破した。県内では大人も含めて10万人超がすでに感染しているとみられ今後、さらに感染拡大が懸念される。政府もワクチン接種などの対策を講じているが、医療機関には患者が殺到するなど現場の混乱も広がっている。

09/11/27 カネミ油症未認定患者に調査票 全国初、県独自に1400通送付(長崎)
 カネミ油症の未認定患者の被害実態を把握するため、県生活衛生課は26日までに、県独自の調査票を未認定患者らに計約1400通、送付した。調査目的は、人数の把握や油症検診の受診呼び掛けなど。県によると、行政が未認定患者の調査を実施するのは全国で初めて。

09/11/29 「世界平和の実現のため」 広島・長崎の中高生が平和宣言(西日本)
 「核なき世界」の実現へ向け、長崎、広島の中高生たちが一緒に作成を進めていた「平和宣言」が29日、完成した。宣言は「世界中のすべての人へ」と題し「広島・長崎の中高生が核兵器廃絶への想(おも)いを共有し、世界平和の実現のためにともに歩むことを宣言します」との決意を表明。「被爆者の肉声を聞ける最後の世代」という共通の使命感を胸に「微力だけど無力ではない」自分たちの可能性もうたっている。

09/12/04 いじめ調査:昨年度、中学生の暴力は倍増-県教委(毎日)
 県教委はこのほど、08年度の公立小中高校での暴力行為といじめの調査結果を発表した。暴力行為(対教師暴力、生徒間暴力、対人暴力、器物損壊)は07年度比196件増となった。一方、いじめは同278件減少した。

09/12/05 原爆症審査待ち8921人 認定条件の緩和後に急増(西日本)
 長崎県は4日、原爆症認定の審査待ちの人が10月末現在、全国で8921人に上っていることを明らかにした。昨年3月末の申請数は全国で3328人だったが、同4月に条件を緩和する新基準が導入されてから申請が急増。今年10月末で約1万4千人に達し、うち4648人が認定、475人が却下された。

09/12/10 学費滞納:県内私立高、3カ月滞納491人 負担軽減求める声-昨年度(毎日)
 授業料など学費を連続3カ月以上滞納した私立高校生が08年度は491人に上ることが県の調べで分かった。全体(1万3129人)の3.7%で、前年度比37人減だが、依然高水準で、県内経済が厳しさを増す中、負担を軽減するよう求める声が上がっている。

09/12/16 県内高校生の就職内定率7年ぶり減少 要因は求人数の大幅減(長崎)
 昨秋以降の景気悪化で、来春卒業予定の県内高校生の就職内定率が伸び悩んでいる。県教委などが15日に発表した就職内定状況(10月末現在)によると、公私立を合わせた内定率は前年同期比10ポイント減の55.9%で、7年ぶりに低下した。学校現場の進路指導担当者からは「来春までに生徒の就職先を決めきれない」と、嘆く声もある。

09/12/22 生活・再就職 列できる窓口も 県内でもワンストップ・サービス(朝日)
 失業者向けの国の緊急雇用対策「ワンストップ・サービス」が21日、長崎市でも開かれた。同市築町の「メルカつきまち」に設けられた会場では、就職や生活保護など相談ごとのブースが置かれ、県や市の職員が個別に対応。順番待ちの列ができるブースもあった。

09/12/25 野宿の人にイブのプレゼント 長崎ホームレスを支援する会が活動(長崎)
 クリスマス・イブの24日夜、長崎市内で野宿する孤独なホームレスたちに、手作りの弁当が届けられた。ボランティア団体、長崎ホームレスを支援する会(高橋靖子会長)の「炊き出し」の一環。ホームレスは、深夜の冷え込みに耐えながらも、温かい「プレゼント」に表情を和らげた。

10/01/07 中国人強制連行訴訟が敗訴確定 支援者ら抗議、「追悼碑」を再要請(長崎)
 戦時中、本県の炭鉱に強制連行され過酷な労働を強いられたなどとして、中国人元労働者や遺族計10人が国や県、三菱マテリアル(東京)など2社に損害賠償を求めた中国人強制連行長崎訴訟の上告審で、最高裁は6日までに原告の上告を受理しない決定をした。原告敗訴の一、二審判決が確定したのを受け、支援する市民団体は同日、最高裁に抗議声明を送付。被告の県に対し、強制連行で犠牲になった中国人の追悼碑を県内の炭鉱跡4カ所に建立することなどをあらためて要請した。

10/01/07 有害サイト39件削除 県ネットパトロールが中間実績(長崎)
 県や県内のPTA団体、携帯電話会社などでつくる「長崎っ子のためのメディア環境協議会」は、昨年9月から実施している「ネットパトロール事業」の中間実績をまとめた。11月末までに、いじめや犯罪などにつながる可能性があるとして削除したサイトは39件だった。

10/01/18 カネミ油症救済給付で4項目案 弁護団、立法作業へたたき台(長崎)
 民主党の本県選出国会議員が18日召集の通常国会に提出する意向を示しているカネミ油症救済法案の立法作業に向け、カネミ油症新認定訴訟弁護団は17日、長崎市内で会議を開き、救済給付の内容を(1)医療費(自己負担分)(2)療養手当(3)救済給付金(生存被害者)(4)遺族弔慰金(死亡被害者の遺族)とする考え方をまとめた。今後、国会議員らと合同で立法作業を進める上で、たたき台とする。

10/01/20在韓被爆者集団訴訟、長崎でも和解 国が1人当たり110万円支払い(長崎)
 日本を出国すれば被爆者援護法の健康管理手当などの受給権を失うとした旧厚生省の通達(2003年廃止)によって援護の枠外に置かれ、精神的苦痛を受けたとして、在韓被爆者が国に慰謝料を求めた集団訴訟は、長崎地裁(須田啓之裁判長)で19日、1次提訴の原告127人について国が1人当たり110万円を支払うことで和解が成立した。在韓被爆者が長崎、広島、大阪の3地裁に提訴した一連の集団訴訟では、昨年12月の大阪地裁に次ぐ和解となった。

10/01/22 2成人、悲願の入学 障害重く義務教育受けられず…(朝日)
《来月受け入れ 県教委が準備》重い障害のために義務教育を受けられず、国立病院機構長崎病院(長崎市桜木町)で暮らしてきた人たちが、2月から小中学校の勉強を始める。病院に隣接する県立長崎養護学校に編入学し、教諭が病院に出向いて指導する。46~60歳の11人が希望しており、県はまず2人を受け入れる方針だ。保護者の大半は60歳以上。「親は子どもに義務教育を受けさせることを夢見ていた。ようやく念願がかなう」と喜びの声が上がっている。

10/02/02 「住吉トンネル工場」説明板 朝鮮人「強制労働」表示へ 長崎市 市民団体の要望受け(西日本)
 長崎市は1日、3月に公開を予定している「旧三菱兵器製作所住吉トンネル工場」の入り口に掲示する説明板に「朝鮮人が強制労働させられた」との内容を加えることを決めた。 説明板には工場建設の背景や労働に動員された人などについて記し、朝鮮人労働者については「強制的に動員された者もおり、トンネルの掘削工事で過酷な労働に従事していた」との表現が盛り込まれた。

10/02/19 3154人が独り暮らし 五島市が高齢者生活実態調査(長崎)
 五島市は18日、市内に住む65歳以上の高齢者の93%に当たる1万2906人が答えた生活実態調査の概要を明らかにした。回答者の24%に当たる3154人は独り暮らしで、このうち76%の2384人が健康面に不安を抱いていることが分かった。ただ、近所や市内の親族などに頼れる環境にいる人は9割を占め、島では地域の交流や支援態勢が一定あることもうかがえた。

10/02/24 就職内定率は公立78・5%、私立61・2% 今春卒業予定の県内高校生(長崎)
 県と県教委は23日、今春卒業予定の高校生の就職内定状況=昨年12月現在=をまとめた。内定率は公立が78.5%(前年同期比9.1ポイント減)、私立が61.2%(同13ポイント減)。特に男子の内定率の落ち込みが激しく、公立で10.2ポイント、私立で18.9ポイントそれぞれ減少した。

10/02/25 長崎市教委 導入5年 児童生徒の偏在進む 学校選択制見直し 校区外通学 12年度から要件厳格化(西日本)
 長崎市教育委員会は24日、臨時委員会を開き、学校選択制の見直しを決定した。制度導入から5年、特定校への人気集中などの問題点が顕在化したため、2012年度の新入学生から本来の通学区域外の学校に通う場合の要件を厳格化する。

◆図書の紹介 『対馬の朝鮮貿易と被差別民』
(長崎人権研究所、2010年3月発行)


 当初、一ヶ月に一度の割合で設定された史料解読会は、昨年の12月で92回を数えた。むろん、日程が合わず昨年度は10回、今年度は未だ2回と当初のペースが守られたわけではない。しかし、この解読会が長崎の被差別部落史研究に大きく寄与したことは疑いない。
 そして、この解読会のおよそ半分は、対馬藩「宗家」史料の解読に当てられた。対馬藩近世部落が特異な形成にあること、しかも、雪駄類の生産を図り殖産興業の振興がその目的であり、朝鮮貿易とも関連したこと、そのいずれもが長崎県の被差別部落史研究に厚みを加えた。種々の研究により、対馬藩が営む朝鮮との貿易で牛皮が重要な位置を占めていたことが明らかになっている。勢い、解読会では、対馬歴史民俗資料館に所蔵される「朝鮮交易覚書」の解読に向かった。
 本書は、「Ⅰ 近世末期における対馬藩の皮革貿易について」「Ⅱ 史料翻刻‐朝鮮交易覚書」「Ⅲ 宗家史料にみる対馬の被差別部落」、の3章から成り立っている。Ⅰは、橋口和孝によって、近世末期の対馬と朝鮮との貿易についてその構造を、また皮革類の輸入に関して検討が加えられている。Ⅱは、史料解読会での翻刻、Ⅲは、2004年熊本市で開催された九州地区部落解放史研究集会の山下信哉報告が「部落解放研究くまもと」49号(熊本県部落解放研究会)にまとめられており、転載させて戴いた。転載をご許可戴いた熊本県部落解放研究会に記して感謝申し上げる。
 また、史料翻刻に当たり、佐賀部落解放研究所の中村久子氏にずいぶんとお骨折りをいただいた。氏のご尽力がなければ本書発行には至らなかったと言って過言ではない。さらに中島英一氏には解読会のメンバーとして、薬種類に関わって貴重な助言をいただいた。
 ともあれ、本書が近世被差別部落史研究の一助となることを、祈念したい。(「はじめに」より)

-目次-
Ⅰ 近世末期における対馬藩の皮革貿易について
 一 はじめに
 二 日朝通交体制の確立
 三 通交貿易体制の確立と展開
 四 十九世紀の日朝貿易
 五 牛皮の流通について
 六 最後に
Ⅱ 史料翻刻‐朝鮮交易覚書
 凡例
 【嘉永四年】
 癸丑【嘉永六年】
 嘉永七甲寅年
 安政二乙卯年
 安政三丙辰年
Ⅲ 宗家史料にみる対馬の被差別部落
 一 はじめに
 二 対馬藩の概況
 三 皮革生産と被差別部落
 四 牛皮と牛骨の流通
 五 おわりに
 レジュメ
 史料集
執筆者・編集委員

◆人権社会確立第30回全九州研究集会

日時:2010年5月28日(金)・29日(土)
場所:長崎県立総合体育館(アリーナかぶとがに)他
参加費:4,000円
主催:「人権社会確立第30回全九州研究集会」実行委員会

記念講演 福田衣里子さん(要請中)

分科会 
1 人権社会確立の現状と課題(長崎市民会館ホール)
2 狭山再審闘争と司法民主化の課題(ワシントンホテル)
3 子育てと人権教育の現状と課題(ロワジールホテル)
4 被差別部落の歴史と現在(長崎大学医学部記念講堂)
5 人権確立に向けた宗教の現状と課題(カトリックセンター)
6 人権確立に向けた企業の現状と課題(ロワジールホテル)
7 人権のまちづくりと隣保遺憾活動(ロワジールホテル) 
8 基礎講座(平和会館ホール)

◆部落史断簡 (その1)

 享保一四年(1729)、浦上山里村中野郷に住む新六は入牢中のところ、伯父平助の願いによって、非人原に送られる。新六は、平助がキリシタンであると訴えたのであるが、同人や村中の者を取り調べた結果、平助は実体(じつてい)者で怪しいところはなく、まして邪宗門でないことは明白であるとした。これに対し、新六は平助の甥で、人柄が悪く常々平助から呵られていたことを恨んで訴え出たというのである。新六は入牢中であったが、平助は、乱心者であるとして、罪を許すよう願い、奉行所は新六を非人原送りとした。その後、新六の消息は定かではない。
 一六〇〇年代後半、島原・天草一揆の後、大村では「郡崩れ」が起き、400人余りが処刑され、豊後や濃尾でも「崩れ」事件が発生した。一八世紀に入って、ほとんどキリシタンはいなくなったと理解されていたのであろう。どっこい、そのころ浦上では、数千人の潜伏キリシタンが信仰を伝えていたのである。かりに、この時新六の訴えを奉行所が聞き入れ詳細な取調が行われていたならば、大事件に発展していたであろう。ちなみに、「浦上一番崩れ」事件は一七九〇年、この時19人が密訴によって捕らえられたが、後に放免されている。この事件の、六〇年後のことである。二番崩れ(1839)も密告によって帳方(秘密組織の頭)等が捕らえられたが、この時は無罪放免、三番崩れ(1856)では15人が投獄され、拷問によって、牢死した者もあり、奉行所はこの時、邪宗ではなく、「異教」として処理したとされる。幕府を震かんさせた「キリシタンの復活」で、3400人余りが流罪となった浦上四番崩れは明治初年のことである。(参照「犯科帳」他)

活動の記録 09/12~10/02

□12月
   1 九州地区部落解放史研究連絡協議会(福岡市)
   8 フィールドワークB(大和地区民生委員児童委員外視察研修)
  12 ながさき人権フェスティバル(島原市)
  18 第4回部落解放学習会(銭座集会所)
  21 部落解放共闘長崎県民会議総会・講演会(勤労福祉会館)
  26 第92回史料解読会(銭座集会所)
    第4回理事会(長崎県人権教育啓発センター)

□1月
  14 研修会(長崎市立桜ヶ丘小学校)
  16 部落解放同盟長崎県連旗開き(銭座第二集会室)
  20 フィールドワークB(小郡市・三井郡同和教育教材等作成委員会)
  26 フィールドワーク島原(唐津市人権・同和教育推進協議会北波多支部)
  27~28 研修会・フィールドワークB(浄土真宗本願寺派奈良教区教務所)
  28 第6回運営委員会(銭座集会所)

□2月
   2 「人権問題を考える・2009」(佐賀市文化会館)
   4 第5回部落解放学習会(銭座集会所)
   6 フィールドワーク大村(前原市長糸支部同協)
  10 長崎県人権教育中央研修会(長崎市民会館)
  16 第6回五島人権教育研究大会(五島人権教育研究協議会)
  22 佐賀部落解放研究所研究発表会(佐賀市)
  23~24 研修会・フィールドワークB(真宗大谷派解放運動推進本部)
  26 フィールドワークA(小郡市・三井郡部落史研究会)

 最近の受入図書(●は寄贈)
○『もっと知りたい 部落の歴史』(朝治武他,解放出版社,09.12)
○『部落問題学習の授業ネタ』(部落問題学習ネタつくろう会,解放出版社,09.12)

定期刊行物(一部)
●『部落解放研究』第188号(社 部落解放・人権研究所)
●『部落解放』第623号~627号(解放出版社)
○『ヒューマンライツ』第261~264号(社 部落解放・人権研究所)
●『リベラシオン』第136号(社 福岡県人権研究所)
●『ひょうご部落解放』第135号(社 ひょうご部落解放・人権研究所)
●『明日を拓く』第79・80号(東日本部落解放研究所)
●『東京大学史料編纂所報』第44号(東京大学史料編纂所)
●『信州農村開発史研究所報』第110号(信州農村開発史研究所)
●『人権問題研究所紀要』第24号(近畿大学人権問題研究所)




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