HOME > もやい > 41号〜
もやい(「ながさき部落解放研究」)41号〜
「ながさき部落解放研究(もやい)」 41号 2000.10
はじめての(?)部落問題学習・・・傳 均
藩領を越えた被差別民の移動を、長崎「犯科帳」にみる・・・梅崎 純司
第19回九州地区部落解放史研究集会を終えて・・・竹森 健二郎
図書紹介 木村涼子『学校文化とジェンダー』・・・門 更月
『もやい』総目次(30号から40号)・・・編集部
『犯科帳』史料紹介(文化十年〜文政四年)・・・史料紹介チーム
◆編集後記
◇ 傳氏のレポートは、今年の九同教夏期講座で報告された部落問題学習の一例である。特徴とすべきは、これに体験型を取り入れていることだ。不合理に気付き、悲しみや怒りを感じ取ることから、部落差別の問題に切り込もうとするものだ。このレポートをもとに、先日部落解放学習会が開かれた。たとえば、「誕生日」の項では、「招かなかった」方(多数派)に、焦点が当てられないか等、意見が出された。差別の現実がさらけ出されることに対して、今問われていることは、その現実を克服していく道筋を学習すべきではないだろうか。この授業案は、誰でもができるようにと創られたものである。機会があれば、どしどし使って意見等々寄せて欲しい。
◇ 八月のおわり唐津市で、第19回九州地区部落解放史研究集会が開催された。竹森氏には、その概要を報告していただき、梅崎氏には、当日報告した原稿を寄せていただいた。これまで、長崎の部落史としては、取り上げられてなかった史料が数多く紹介されている。これらを如何に部落史として体系化できるのか今後の研究が期待される。(あ)
|
「ながさき部落解放研究(もやい)」 42号 2001.3
体験的参加型学習の力を再考する・・・野本 美和子
時間をたどる−江戸時代「部落」の歴史・・・阿南 重幸
磯本恒信氏を偲ぶ・・・藤澤 秀雄
長門隆明さんの帝国陸軍における軍隊体験・・・岩松 繁俊
書評 不平等社会の再来を警告する三冊の本・・・前川 雅夫
「犯科帳」史料紹介−「部落」史関係記事[文政5年(1822)〜文政11年(1828)]・・・山下 信哉
◆編集後記
◇ 昨年度、長崎での戦後部落解放運動の創始者でもあり、今日まで屋台骨であった、磯本恒信部落解放同盟前県連委員長、長門隆明同前長崎支部長が相次いでお亡くなりになった。本誌では、お二人への追悼の意味で、藤沢、岩松両氏より一文を寄せていただいた。故人共々、長崎の部落史研究に造詣が深く、その牽引を果たされていたことは衆目の一致するところである。お二人の部落史研究の対する情熱を忘れることなく、今後も研究活動にねばり強く邁進していきたい。
◇ 「不平等社会」こんな言葉を最近とみ目にする。親の学歴、職業、財産によって、子の将来がおよそ決定されるというのだ。薄々は感じていたが、戦後民主主義は、「平等」を是とし、またそうあるしそうでなければならない、との幻想の上にあった。政治家や医師は言うに及ばず、芸能人やその他職域でも、世襲が多くなっているようだ。職業選択は、自由ではない。前川氏には、代表する著作三冊を紹介していただいた。
◇ 本誌の発行と同時期に「教材資料集『・・・を50分で授業するー参加型学習の展開と、人権を考える授業』が刊行される。これは、本誌「38号」で特集した「体験的参加型学習」を具体的に授業案として提示したものだ。マニュアルではない。素材の提供だと考えていただいて、使いやすいように創意工夫を加えていただきたい。冒頭の二編は同誌に収録されたものである。ご意見・ご批判をいただきたい。なお、教材案として寄せられた「授業案」で今回収録を見送ったものが十数点残されている。今後作成者と相談の上、第二弾第三弾を出していきたい。(あ)
「ながさき部落解放研究(もやい)」 43号 2001.10
キリシタンと部落−その歴史的諸関係をめぐって−・・・阿南 重幸
オットー・モーニケ(1814〜1887)『日本の「エタ」あるいは「エトリ」』解読と翻訳・・・園田 尚弘
モーニケの見聞録を読んで・・・藤澤 秀雄
書評 『部落の21家族ライフヒストリーから見る生活の変化と課題』・・・松尾 洋
フィールドワーク資料 原爆と部落
◆編集後記
◇ おりしも、牛肉が話題になっているが、最近話題の『カクレキリシタン』(宮崎賢太郎、長崎新聞社)に、文化年間の「天草崩れ」が、牛を殺して仏前に供え、それを食べたことが外部に漏れたことによって、キリシタン組織が発覚したことが記されている。「当時牛馬を屠殺しその肉を食することは一般に固く禁止されていたが、キリシタンは牛肉を食べる習慣があるとされていた。取調べが進むうちにその数は五千名に達した。その数の多さからも厳しい処分は行わず、秘蔵していた鏡仏、銭仏、土焼きのマリヤ蔵、金仏、クルスなどの信仰対象を差し出させ、以後キリシタンを信仰しないことを誓わせた(38頁)」というのである。本誌冒頭の、「キリシタンと部落」でも、同じ様な事例が見られる。牛肉を食することが、キリシタンであるという観念は、人びとを肉食への忌避へと向わせたのである。『牛肉と日本人』の著者吉田忠氏は、徳川の肉食禁制が政治的なキリシタン弾圧の一環として出されたことを指摘している。しかし一方で、長崎の肉食文化は出島を通して、広く普及したことも、『出島』(片桐一男)で言及されている。故に長崎はちゃんぽんがおいしいのか。
◇ モーニケはその著書において、日本人に関して、極めて好意的な観察を行っているとされる。この論文を探すときに、彼が医師であることから、部落との接点を予想したが、意に反して、当時の日本人の差別観を反映したものであった。しかし、このようなまとまった当時の外国人による論文はあまり例がないと思われるので、その紹介していただいた。
◇ フィールドワークは、ご希望がございましいたらご案内いたします。本誌もまた編集に充分な時間を充てられず、発行が遅延したことをお詫びいたします。(あ)
「ながさき部落解放研究(もやい)」 44号 2002.3
差別とキリシタンの三つの事件・・・結城 了悟
部落問題学習実践交流会を終えて・・・川 英治・林田 賢作
オットー・モーニケ『日本人』翻訳・・・園田 尚弘
屠畜営業をめぐる浦上山里村の訴え・・・石瀧 豊美
『犯科帳』史料紹介〔天保十二年〜弘化元年〕・・・山下 信哉
◆編集後記
今回は二本の投稿を得た。一つは、結城氏の「差別とキリシタンの三つの事件」で、江戸時代初期、キリスト教弾圧の過程で三つの事実を差別と絡めて論じられている。追放された乞食(非人)・ハンセン病患者、混血児たちは信仰の証し人であり、純粋な殉教である。そして、前者に対する差別、また民族差別がその根本にあるというのである。こうした視点は、これまで余り触れられていないことでもある。今ひとつは、石瀧氏で、浦上山里村の屠場について、『行政裁判所判決録』から史料紹介していただいた。「もやい」43号の「キリシタンと部落」に幕末期の屠場について触れられているが、この資料では、明治以降屠場設立についての経緯が示されている。合せてお読みいただければ幸いである。
園田氏からは、前号に続いてモーニケ『日本人』から一部を翻訳していただいた。前号で紹介された『日本の「エタ」あるいはー』を書いたモーニケの日本人観がどのようなものであったのか知ることができる。
川・林田両氏からは県同教で行っている部落学習問題実践交流会の報告をまとめていただいた。同和教育を人権教育として推進していくとは、どういうことなのか、もっともっと議論が必要である。
今回も山下氏に「犯科帳」の史料紹介をしていただいた。何せ膨大な量である。しかしこのような基礎的な資料集があれば、研究には大いに役に立つ。感謝申上げる。(あ)
「ながさき部落解放研究(もやい)」 45号 2003.4
「意識調査」結果を詳細に読む ―2002年「人権に関する県民意識調査」から―・・・
池田 芳信
部落問題の解決を巡る、これからの人権教育及び行政の方向を探る・・・阿南 重幸
21世紀西の風。人権教育の風、微風―同和教育と出会って三〇年、明日への一歩―・・・
荒木 寿美
近世初期キリシタンへの迫害と「かわや」集団・・・阿南 重幸
史料紹介
「皮類寄」(長崎県立長崎図書館蔵・永見文書)・・・中村 久子
◆編集後記
◇ 「特別措置法」の終焉ということに象徴されるように、今日部落問題を巡る教育や行政、さらに研究も大きな転換点を迎えているといえる。本誌では、冒頭池田氏に「県民意識調査」を今後の啓発にいかに生かしていくのかをテーマに分析報告していただいた。おわりの項で部落に対して「忌避的な態度」等を示す人々が他の質問にどのように答えているのかの検討を提言されているが、まさにそのとおりで今後の分析を待ちたい。また、阿南報告も同和行政の今後の展望を探るものである。人権行政として今後いかに展開されていくのか検討された。しかし、一般世間での部落(問題)に関する偏見や予断は意識調査の結果に表れたように、それほど解消はしていないのである。この点に注目した議論が今後望まれているといえよう。荒木報告はこれまでの同和教育を総括し、これからの教育現場における人権教育の有り様を示している。
◇ 後掲部落史に係わる報告及び史料紹介は、極めて重要である。これで皮屋町住民がキリシタンであったことが四つの事件でほぼ裏付けられたといえよう。なお、キリスト教が表面から姿を消した寛文年間には三名の皮屋町住民が「伊勢参り」に訪れていたという史料に最近巡りあった。キリスト教の排撃が神道の普及とも関連して行われたことがわかる。信州農村開発史研究所の斎藤洋一氏が信州の部落で同様の事例を報告されているが、九州でも各地で見られたのかも知れない。中村史料紹介は幕末期における皮革の輸入に係わるものである。享保期を境に皮革の輸入が減少していることはこれまでの研究で明らかにされているが、この史料を見る限り相当数の輸入である。これもさらなる研究が待たれる。(あ)
「ながさき部落解放研究(もやい)」 46号 2003.10
特集〈部落問題と人権を考える〉講座
◆アインデンティティ・ポリティクスを超えて−在日韓国・朝鮮人の現状と今後−・・・金 泰泳
◆人権啓発センターと私・・・西尾 紀臣
◆ホームページを活用するために・・・池田 芳信
◆貿易都市と「かわた」集団・・・阿南 重幸
◆ 史料紹介(その2)
「皮類寄」(長崎県立長崎図書館蔵・永見文書)・・・中村 久子
◆編集後記
◇ 本年6月、「〈部落問題と人権を考える〉講座・2003」が、長崎、大村の2会場で行われた。本誌には、ご後援いただいた金氏、西尾氏お二人のお話を掲載させていただいた。在日外国人、特に韓国・朝鮮人を取り巻く様々な問題について、私たちはあまりにも無頓着である。長崎は歴史的に開かれた地域だからあるいは、人口が少ない等の理由で、これらのことには関心を払わなくても良いのではないかという一般的な社会状況がある。しかし知らなければいいわけではない。むしろ、知ってから初めてお付き合いができるというもの。知らないことの、反省をしていきたいと思う。啓発センターは、長崎にはまだ設立されていない。福岡市での取り組みに学びながら、部落問題を始め、さまざまな人権問題を考えていくセンターとして、開設されることを願っている。
◇ 本年5月、ホームページを開設した。ページを運営されている池田氏から、効果的な利用ができるように解説をお願いした。ご意見をいただきたい。
◇ 阿南報告は長崎の部落史を、今日の研究成果にもとづいて、対外交易とキリスト教の関連で書き直していくための一環である。「部落解放史 ふくおか」に掲載されたものに大幅な増補、修正を行っている。次号以降に順次掲載される予定である。
中村氏には、前号の続きとして「皮類寄」の史料紹介を行っていただいた。次号で終了する。(あ)
「ながさき部落解放研究(もやい)」 47号 2004.03
学力保障の取り組みを展望する・・・岩川 克行
近世初期肥前大村藩における被差別民の周辺・・・橋口 和孝
貿易都市長崎と「かわた」集団(その2)・・・阿南 重幸
史料紹介「皮類寄」(その3)・・・中村 久子
蔵書目録−長崎県関係・・・編集部
◆編集後記
◇ 橋口論文は、毎月開かれている史料解読会での報告をもとにしている。近世初期大村藩においてキリスト教がどのような人々に受け入れられたのかを詳細に検討され、ハンセン病者(癩病者)・朝鮮人・奴隷・刑吏役の人々が積極的に受容し最後まで信仰を捨てなかったことを明らかにし、その意義を述べている。このように、江戸時代禁教政策に至るまでキリスト教の伝播について被差別民との関連を明らかにすることは全国的にも再度検討される課題となるのではないだろうか。
◇ 中村氏には、前号の続きとして「皮類寄」の史料紹介を行っていただいた。今号で最終である。ご苦労に感謝申し上げたい。幕末期の皮革輸入について、これからの研究に資することは多大である。
◇ 現在研究所では蔵書目録の整理を行っている。今回は、長崎県関係のみ紹介することにした。なお、HPには、入力が済み次第全てを公開している。ご活用いただきたい。(あ)
「ながさき部落解放研究(もやい)」 48号 2004.10
人権研究所の発足に当たって・・・藤澤 秀雄
見えざる階層的不平等・・・鍋島 祥郎
長崎の部落史研究を読む・・・竹森 健二郎
貿易都市長崎と「かわた」集団(その3)・・・阿南 重幸
◆編集後記
●人権研究所に移管されて初めての「もやい」発行です。本来なら、機関誌も一新するべきなのですが、夥しい量の業務に忙殺されて、とても手が行き届きません。もし、編集をやっても良いですよ、という方がいらっしゃればぜひ手を挙げて下さい。但し、次年度からはぜひその方向で検討したいと思います。研究員制度や運営委員会及び講師団の設置等が理事会で了承されました。今期下半期は、これらの体制づくりが急がれます。皆様方のご協力をぜひお願い致します。
●皮肉なことなのですが、長崎県内でも、今部落史の授業について、様々研究・実践が行われています。学校現場で起こる「賤称語」を使った事象が報告されています。教科書記述が変わっている訳ですから、そのことに意味をしっかり知るべきです。そうすると自ずから、授業の中身も変わってくると思います。幸い、長崎県には、部落史の授業にうってつけの新しい史実が発掘されています。ぜひ、ご活用願いたいと思います。
●鍋島氏の講演録は、形式的平等を建前とする学校教育に警鐘を鳴らしています。「ディズニー七つの法則」が果たして学校を「効果のある」ものにするのでしょうか。もっともっと語り合いたいと思います。しかし、このままでは、階層の格差に基づく不平等が固定化されることは目に見えています。どうしたらよいのでしょうか。
本号では、福岡人権研究所の竹森氏にこの五年間の私どもの研究活動について、評価をして頂きました。たいへん扱いにくかったと思います。ありがとうございました。
●フィールドワークが本年も盛んです。雑誌「部落解放」10月号では、「長崎のキリシタンと部落問題」という特集を組んでいただきました。前長崎市長の本島氏や本誌にもご執筆頂いた上杉聰氏も交えた座談会も企画されました。また「キリシタン迫害と被差別部落」という論考も含まれています。ぜひ、ご一読下さい。(あ)
「もやい 長崎人権・学」 49号 2005.03
特集 差別表現の展示をめぐって
ミュージアムの展示を考える−差別表現を素材に−朝治 武
文学の舞台を訪ねて−崎戸・泥の文章−・・・田中 良彦
シリーズ人権を考えるその1・・・中田 慶子
Library近刊書
中学校建設支援の取り組み「ネパール・バズン村に学校を!」・・・松下 裕之郎
Handi capped 人・・・山田 健一
大学生が考えた長崎県の人権・同和教育
まんがSumpathy・・・おみさ
人権関係新聞記事 ひろい読み
◆編集後記
○NPO法人長崎人権研究所への移管にともなって、機関誌を一新しました。是非多々あろうかと思いますが、ご意見いただければ幸いです。編集委員は4名、若干寂しい気もしますがこれだけの原稿をいただいて、感謝、感謝です。誌面、内容を含めて「読まれる雑誌」へ変われるのか、これからが正念場です。
○特集を、「差別表現の展示をめぐって」としました。「文学の舞台を訪ねて」で田中さんが事の経緯を書かれていますが、本年1月、私どもは崎戸町の「井上光晴文学室」を訪れました・研究所では、県内にある人権史跡を歩き、1冊の冊子にしたいと考えています。崎戸紀行はその一弾です。ところがそこには、当時被爆者のおかれた状況を被差別部落に対する蔑称で表現した文章が、パネルとして展示されていました。開室してすでに3カ月が経過しています。どなたからも問題提起がなかったのでしょうか。これを放置することは、差別の拡散につながると考え、セミナーを開催、リバティー大阪の朝治さんをお招きしました。関係者との議論の末、文学室の意味を伝えること、パネルを解説したキャプションを付けることで合意し、今現在その作業に入っています。これを機に差別表現について、多くの方々に考えていただきたいと思います。
○中田さん、山田さん、松下さん、西川さん、原稿をありがとうございました。「人権」をキーワードにこれからもさまざま誌面に反映していきます。
○とはいえ、内容はやはりハードです。ハードなことをいかにソフトに語っていくかを基本に誌面作りに励んでいきます。(あ)
「もやい 長崎人権・学」 50号 2005.10
●特集 身分と身形(みなり)−衣服統制を中心に
第24回九州地区部落解放史研究集会報告
記念講演「つくりかえられる徴(しるし)−日本近代・被差別部落・マイノリティー−」(静岡大学 黒川みどり)
報告:佐賀・大分・宮崎・熊本・長崎・福岡
「身分と身形」に関する年表(九州領域)
●シリーズ文学の舞台を訪ねて−島原・共感のライン
中学校教諭・作家 田中良彦
● シリーズ人権を考えるその2
子どもの人権−子どもを暴力から守るために
NPO法人子どもの人権アクション長崎 副理事長 中村則子
●ひと 「妹の骨は、やはりあった」長門充
●Library近刊書
●人権関係新聞記事 ひろい読み ◆編集後記 ○本誌は、第24回九州地区部落解放史研究集会の特集号とした。テーマは「身分と身形」、各地の報告そして長崎の事例を見ると、衣服あるいは身形の規定については二つの意味があったように思われる。一つは、被差別民を問わず奢侈禁止という側面である。今ひとつは文字通り差別の刻印としての身形である。長崎報告では対馬藩で後者が次第に強化されていったことが分かる。こうした事例を今回は、九州全域を対象にした報告も行われた。膨大な資料を前にして今ひとつ消化し切れていないが、今後大切な研究課題となるに違いない。(あ)
HOME > もやい
|