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青少年の育成に関する有識者懇談会報告書

平成15年4月
青少年の育成に関する有識者懇談会
(内閣府共生社会政策担当)


目次
T はじめに
U 青少年の健全育成に関する基本的考え方
V 青少年にかかわる場の状況
1 家庭
2 学校
3 職場
4 地域
5 情報・消費の場
(1)情報
(2)消費
W 年齢期ごとの課題
1 乳幼児期
(1)母親への支援
(2)男性の子育てへの参画
(3)地域での子育て支援
2 学童期
(1)基本的生活習慣の形成
(2)基礎的学力の習得
(3)他者の認識と自己の形成
(4)のびのびとした時間・空間の創出
3 思春期
(1)社会の中での自分探し
(2)社会規範の習得
(3)社会的自立に向けた知識や能力の習得
(4)性に関し適切に行動を選択できる力の習得
4 青年期
(1)職業的自立
(2)親からの自立
(3)公共への参画
X 基本的な対応の方向
1 青少年観の転換
2 社会的自立の支援
3 特に困難を抱える青少年の支援
4 率直に語り合える社会風土の醸成
5 施策の総合的な推進
Y おわりに
補論
○ 乳幼児の母親の就労の是非
○ 「学力低下」について
○ 少年犯罪について



T はじめに
(青少年の変化)
 「いまどきの若い者は」という言葉はピラミッドの昔から繰り返されてきたといわれる。他方、若い世代の新しい文化や行動が社会を変化させる原動力として期待されてきたことも事実である。大人たちの眉をひそめさせる今の青少年の行動には、当の大人たちが若かったころにも存在していたものもあるし、また、昔の青少年と異なる行動だからといって直ちに非難すべきものでもないだろう。
 しかし、近年、青少年の育成をめぐり、乳幼児期の子どもを抱える母親の育児不安、学校教育制度の変化等に伴う学力低下不安、マスコミ報道に接しての少年犯罪の凶悪化不安、フリーター(※1)の増加などからの若者の職業能力低下の不安など、大人たちの間では様々な不安が大きくなり、対応を求める声が強まっている。科学技術や社会経済構造の急速な変化の下、現在青少年に生じている変化の中には、学習意欲の低下、無業者の増加など看過すべきでないもの、社会として適切な対応が求められているものも少なくないようにみえる。
(検討の進め方)
 従来、青少年に関する問題は、例えば、育児や雇用問題については厚生労働省、学力については文部科学省、少年犯罪については警察庁や法務省などが中心となってそれぞれ対応してきた。しかし、現出する新たな問題は、共通する今日の社会経済状況を背景にして相互に関連している。したがって、その対応についても教育、福祉、雇用、社会環境などの分野をまたがって有機的に連携、協力して行われる必要がある。
 このような観点で、我々は青少年の育成をめぐる状況、課題、対応方策について総合的に検討し、ここにその結果をとりまとめた。昨年4月から始めた懇談は15回、延べ34時間に及んだ。また、委員以外にも14人の有識者に協力を求め、懇談会の席上で意見の発表をお願いした。また、委員も参加し青少年と議論を行った「青少年サミット(※2)」での提言や、「青少年電子モニター(※3)」から寄せられた意見も参考にした。
 このように、教育、福祉、医療、法、経済、都市計画など多様な分野の研究者や実践者が一堂に会し、青少年の育成について専門性を持ち寄って懇談を行ったことは、我々にとっても貴重な経験だった。その中で、青少年の育成にかかわる知見には、ある分野の専門家にとって常識でありながら他の分野や一般の人々には知られていないものも多いことも明らかになった。したがって、それらの知見を幅広く報告書に盛り込むこととした。あわせて、根拠となる調査結果を資料として添付することとした。

※1 厚生労働省の定義では、15〜34歳で、@現在就業している者については勤め先における呼称が「アルバイト」又は「パート」である雇用者で、男性については継続就業年数が1〜5年未満の者、女性については未婚で仕事を主にしている者とし、A現在無業の者については家事も通学もしておらず「アルバイト・パート」の仕事を希望する者。
※2 内閣府が、青少年行政に青少年の声を反映させるため、高校生、大学生及びそれらに相当する年齢の者30人を集め開催した。6 つの班に分かれ、それぞれ自分たちで決めた政策テーマに対する提言をまとめた。(日程:平成14年8月20日〜24日(4泊5日)、主会場:国立オリンピック記念青少年総合センター)
※3 内閣府が、広く青少年から青少年行政等に関する意見・要望等を聴取するため、平成14年4月から募集を開始している。内閣府のホームページを通じて登録を行った青少年(Eメールアドレスを持つ12歳(中学生)から24歳までの日本国内に居住する青少年)が、意見・要望等をホームページのフォーム上に自由に書き込み送信する仕組み。(登録者:平成15年3月現在約160人)

 議論に当たっては、多様な委員構成にもかんがみ、できるだけ客観的な事実に即して検討を進めることとした。また、幅広い年齢にわたる青少年を一括に論ずることには無理があるので、成長段階に応じて年齢期ごとに分けて考えることとした。さらに、課題の設定に当たっては、時代を超えた普遍的な課題が今日の日本の社会経済状況の下で現している様相に着目して取り上げることとした。
 青少年の育成には、我々の誰もが、親として、地域の大人として、職場の先輩としてなど何らかの形でかかわっている。そして、我々の行動は組織や制度に規定されているところが大きいものの、その組織や制度を変えるのも我々一人一人の個人の意思と行動である。このような観点から、課題や対応方策の提言をまとめるに当たっては、組織と個人、制度変更と意識啓発の双方を視野に入れることとした。
(言葉の用い方)
 なお、青少年という言葉は、政府の施策の対象として用いられる場合、年齢による一律の定義はないが、最も幅広く用いられる場合は0歳からおおむね30歳未満の者を指している(資1-1-1)。したがって本懇談会でもそれらの者を検討の対象とした。年少の者の呼び方には、「子ども」、「児童」、「若者」など様々あるが、本報告では、熟語、慣用的使用を除き、「子ども」は乳幼児期・学童期まで、「若者」は思春期以降、「青少年」は「子ども」と「若者」の総称、「大人」は青少年期を脱した者を意味するものとして用いた。ただし、親との関係で用いる場合は年齢にかかわらず「子」とした。乳幼児を青少年と呼ぶことには日常用語としては違和感があり、分かりにくいという意見もあるが、「子どもと若者」と繰り返す煩を避け、ここでは「青少年」という語を用いることとした。報告内容を青少年も含めた国民に分かりやすく伝える際には何らかの工夫を望みたい。
 また、「乳幼児期」はおおむね就学前、「学童期」は小学生まで、「思春期」は中学生から高校生又は18歳ぐらいまで、「青年期」は高校卒業又は18歳ぐらいから30歳ぐらいまでを想定して用いた。ただし、個人差も大きく、年齢によって明確に区分できるものではない。

U 青少年の健全育成に関する基本的考え方
(青少年の健全育成とは)
 「青少年の健全育成」という言葉については、従来必ずしも共通の理解がなされておらず、「健全な青少年の育成」、「一切の逸脱、過ちのない青少年の育成」と同義に理解され、非行の予防や矯正に偏って理解されるきらいがあった。しかし、青少年を健全に育成するとは、そのような消極的な営みにとどまらない。それは、青少年が「今を充実して生きること」とともに、「将来に向かって、試行錯誤の過程を経つつ、一人前の大人へと成長していくこと」を支援するという、長い時間軸をもった、より総合的な営みではなかろうか。ここでいう「一人前の大人」とは、国際化が進み、多様化、流動化する社会の中で自己選択、自己責任、相互支援を担い、他者とのかかわりの中で自己実現を図る、社会的に自立した個人を念頭に置いている。
(今の充実と将来への成長)
 我々は今が楽しくさえあれば良いという立場も、将来のために今を犠牲にさせるという立場もとらない。青少年期は、人生の多くを占める大人となるための準備期間であるとともに、かけがえのない人生の一部でもあるからである。「青少年の今の幸せ」が「将来の大人と未来社会の不幸」へとつながらないよう、また、「将来の大人と未来社会の幸福」が「青少年の今の幸せ」を阻害しないようにするために、我々大人にできることは何だろうか。それは、やり方を教え力をつけるために訓練や自己探求の機会を保証するとともに、失敗しても立ち直れるよう支えることではなかろうか。その安心感の下で、青少年は少しずつ新たな経験に挑戦して自分の力を十分に発揮し、成功の手ごたえや失敗の克服の中で自己への信頼を確立できる。また、「生きていることって楽しいんだ」という命への肯定感と将来への希望を得、社会の中で自己の可能性を広げていくことができる。青少年が「今を充実して生きる」とは、挫折を恐れて挑戦から「オリル」ことにより「ラク」に生きることではなく、挫折も含めた体験を成長段階に応じて豊かに積み重ねていくことであるし、それが、青少年が「一人前の大人」に成長するためには不可欠だと考える。
(大人と青少年双方の信頼と努力が必要)
 もちろん、現在の大人もすべて先に述べた意味で自立した「一人前の大人」であるわけではない。例えば、組織に埋没し企業や政府に寄りかかってきた大人も少なくない。多様化・流動化する社会の中で、大人もまた一層の自立を求められている。青少年にみられる挑戦の忌避は、彼ら自身の問題というよりむしろ失敗と再挑戦を許容しない今日の我々大人たちの社会の反映とみることもできる。このような考え方に立ったとき、育成とは大人が一方的に働きかけるものではなく、双方の信頼を前提とした努力を必要とするものとなる。青少年が既存の大人の社会を理解し適応するだけでなく、大人の社会もまた、新しい文化をもつ青少年を理解し受け入れられるように変化しなければならないし、青少年が成長する環境としてより望ましい方向に変化する努力を怠ってはならないだろう。大人の生きている姿自体が、言葉よりもはるかに強く青少年に語りかけていることを忘れてはならない。
(大人の責任)
 少子化が進む中、数少ない子や孫に愛を集中する親や祖父母がいる一方で、他人の子どもに対しては寛容さが失われ、幼稚園や公園での子どもの歓声を騒音と聞く大人、街中で見かける青少年の姿に迷惑気に眉をしかめる大人もいる。しゃれた大人仕様の街からは、青少年が思い切り騒ぎ回り、走り回れる場は失われていっている。声高に叫ばれ、誰も否定できない「子ども尊重」の言葉の裏で社会の実態はますます「大人中心」になってきてはいないだろうか。しかし、この社会は紛れもなく大人と青少年の共生社会なのである。一人の人間としては大人と対等の尊厳をもっていると同時に、社会を生きていく上で未熟であり保護や教育を必要としている青少年に対して配慮することは、我々大人たちに課せられた基本的な責任なのではなかろうか。何よりも、長い将来の時間を持ち未来社会をつくっていくのは、間違いなく彼らの方なのだから。

V 青少年にかかわる場の状況
(青少年を取り巻く世界と大人になることへの不安)
 高度経済成長に続いたバブル経済も崩壊し、日本経済は長らく停滞に苦しんでいる。少子高齢化も進行し、間もなく総人口の減少も始まろうとしている(資3-0-1)。また、情報化の進展は、社会・経済・文化に新たな可能性を開くと同時に、様々な分野において世界的規模での競争を一層激化させている。これらの変化は、人々のライフスタイルを多様化させ、家庭・職場・地域などの場を通じて、大人のみならず青少年の生活にも大きな変化をもたらした。
 そうした中で今日、「早く大人になりたいと思わない」という中学・高校生が6割近くに上る。その理由として、「子どもでいるほうが楽」「大人になることが何となく不安」「大人になって仕事や家のことをちゃんとやっていける自信がない」が多く挙げられている(資3-0-2)。大人になることに不安を抱き、「楽な存在である子ども」であり続けたいという今日の青少年を取り巻く世界とはどのようなものだろうか。
 青少年育成の課題の設定に入る前に、ここではまず、このような社会経済の変化の下で青少年にかかわる場が今日どのような状況にあるのかみてみたい。

1 家庭
(家庭の中で一人で過ごす子ども)
 今日の家族構成の特徴として、祖父母と同居する割合の低下などによる核家族化(資3-1-1)、また、一人っ子の増加など兄弟姉妹数の減少による家族の少人数化が挙げられる(資3-1-2)。さらに、小学6年生の半数近く、中学2年生の3人に2人が自分だけの部屋を持ち(資3-1-3)、子どもが一人で食事をとる「孤食」が増加するなど(資3-1-4)、今日、子どもが家庭の中で一人で過ごすことが以前に比べ多くなり、家庭内は子どもの社会性が育ちにくい環境であると指摘する声もある。
(生活時間の夜型化)
 ここ数年、国民全体として就寝時間が遅くなる傾向があるが、特に乳幼児の生活の夜型化が顕著である(資3-1-5, 3-1-6)。大人の生活の夜型化に合わせて子どもの生活リズムも年々夜型になっており、子どもの心身への影響が懸念される。
(母親の育児不安と負担)
 自分の子を持つまで乳幼児と接したことのない親が増加し、自分自身の子育てに際しては不安を抱く親も多い(資3-1-7)。また、産後うつ病(※4)にかかる母親は1割(※5)を超えている。
 親子の接触状況については、父親は労働時間が長いこともあり、子とかかわる時間は短く、家庭内での子とのふれあいは、母親に偏っている(資3-1-8)。出産した女性の育児休業取得率は半数を超えたが、妻が出産した男性の取得率は1%に満たない(資3-1-9)。また、小・中学生のいる家庭では7割近くの母親が就労しているが(資3-1-10)、休日に小学生が家事の手伝いをする時間は、男子の2人に1人、女子の4人に1人が15分以下と回答している(資3-1-11)。

※4 出産後1-2 週間から数カ月以内に発症するうつ病。気分が悪くなり、ふだん興味をもっていたことに全く興味がなくなったり、楽しめなく
なる。この他にも体重の減少(あるいは増加)、不眠(あるいは睡眠過多)、疲れが出現し、気力がなく、集中力や思考力が低下する。症状が
重症化すると自殺について繰り返し考えたりする。このような症状が2週間以上続くと本人が大変苦痛を感じ、日常の生活つまり家事と育児へ支障を来す。現在は我が国にも産後うつ病のスクリーニングが開発され利用されている。
※5 吉田敬子「母子と家族への援助−妊娠と出産の精神医学−」(金剛出版 2000年)

(子育て世帯の厳しい経済状況)
 経済面では、20代〜30代と40代〜50代の間の世帯所得の格差が拡大しており(資3-1-12)、若い子育て世帯の厳しい経済状況がうかがわれる。近年離婚率が上昇し(資3-1-13)、母子家庭が増加しているが(資3-1-1)、母子家庭では経済的に困難な世帯が多くみられる傾向がある(資3-1-14)。また、児童虐待の相談件数が増加しているが(資3-1-15)、児童虐待につながるとみられる家庭は経済的に困難な家庭に多いとの調査結果がある(資3-1-16)。
(晩婚化)
 平均初婚年齢は男女ともに30歳近くなり(資3-1-17)、晩婚化が進行している。今日、20代後半の男性の7割、女性の半数以上が未婚である(資3-1-18)。

2 学校
(進学率の上昇等)
戦後、高校・大学等への進学率は上昇し続け、今日、高校等進学率は96%に達し、約半数の青少年が大学・短大に進学している(資3-2-1)。高校の職業学科の生徒数の割合は減少傾向にある(資3-2-2)。
 近年、児童生徒数の減少に伴い、公立の小・中・高等学校数は減少傾向にあるが、私立学校は微増傾向にある(資3-2-3)。また、小学校での一学級当たり平均児童数は減少しており、傾向として学級が少人数化しつつある(資3-2-4)。
(学校での年間授業時数の減少)
 平成14年度からの「完全学校週5日制」の実施に伴い、現在の義務教育課程の標準授業時数は7%減少した。30年前に比べ、小学校では454時間(8%)、中学校では595時間(17%)の減少となっている(資3-2-5)。また、放課後の活動については、中学生の4人に3人、高校生の2人に1人が部活動に加入している(資3-2-6)。
(学校への不適応)
 学校生活については、大多数の青少年が楽しい又は満足であると答えているが(資3-2-7)、学校への不適応によると思われる現象も相当数みられる。小・中・高等学校とも、いじめの発生件数は減少傾向にあるが(資3-2-8)、中学校、高校での校内暴力の発生件数は、平成13 年度は減少したものの、それまでは増加の傾向にあった(資3-2-9)。また、小・中学校の不登校児童生徒数は増加傾向にあるが(資3-2-10)、高校中退率はここ数年横ばいである(資3-2-11)。
(教員の精神的健康不安)
一方、精神的健康不安を抱える教員も増加している。精神的な病気で休職した教員は平成13年度には2,500人に上り、10年前の2倍以上に増加した(資3-2-12)。教員数はこの10年で約7万4,000人減少しており、心を病む教員の比率が高まっている。
(学校外の学習状況)
 中学・高校生の塾通い率は、昭和57 年から平成4 年にかけて増加した後ほぼ横ばいで推移し、平成14年では中学生53%、高校生18%である(資3-2-13)。また、10年ほど前の調査結果ではあるが、平成5年に塾に通う小学6年生の割合は42%であり、昭和60年当時の30%と比較して大きく増加している(資3-2-14)。しかし、学校外での学習時間は近年減少しており(資3-2-15)、児童生徒の学習離れの傾向がうかがわれる。中学・高校生では、塾に通っている生徒はそうでない生徒より学習時間が長いとの調査結果があり、特に、塾に通っていない高校生の半数は「ほとんど勉強しない」など、この傾向は高校生において顕著である(資3-2-16)。さらに、母親が家庭の生活程度を高いと意識しているほど(資3-2-17)、また、母親の学歴が高いほど子の学習時間が長くなる傾向があり(資3-2-18)、子の勉強時間と家庭環境との相関がうかがわれる。
(教育費負担)
 家庭の消費支出に占める教育関係費の割合は平成11年で13%であり、昭和49年当時の約2倍に増加した(資3-2-19)。また、大学生の授業料負担については、20年ほど前の調査結果ではあるが、約8割が「大部分、親が負担した」という状況にあり、欧米諸国と比べると、子の教育に関する親の負担は大きい(資3-2-20)。
(卒業後の進路)
 高校の学科別の進路は、普通科は大学等進学率が53%、就職率が9%であり、職業学科は大学等進学率が18%、就職率が48%となっている(資3-2-21)。
 卒業後に進学(専門学校等への進学を含む)も就職もしない高校・大学生の比率が近年増加しており、高校新卒者で11%、大学新卒者で26%となっている(資3-2-22, 3-2-23)。

3 職場
(失業率の上昇)
 倒産件数の増加、完全失業率の上昇などに象徴されるように、今日、我が国の雇用情勢は極めて深刻な状況にある。とりわけ、若年層の失業率は、近年急上昇しており、10代後半の男子は15%、女子は10%、20代前半の男子は11%、女子は8%となっている(資3-3-1)。
 高校卒の求人件数は激減しており(資3-3-2)、特に地方では高校卒の雇用情勢が一段と厳しい(資3-3-3)。この背景には単なる景気の問題にとどまらない経済構造上の要因があり、中でも若年層の雇用状況を深刻化させる要因として以下の二点がある。
(企業による非常用雇用の増加)
 第一点は、企業が新規雇用を行う際にパートタイムの割合を高めていることであり(資3-3-4)、この影響は若年者層に特に顕著である(資3-3-5)。こうした中で、いわゆる「フリーター」という現象がみられるようになり、その数は平成12年の推計で193万人に上る(資3-3-6)。また、25〜30歳未満のフリーターの7割が親と同居している(資3-3-7)。
(企業による新規採用の減少)
 第二点は、企業が中高年齢労働者の雇用を確保するために新規採用を抑制するとともに(資3-3-8)、その結果減少している新規採用者のうち、中途採用者の割合を高めている傾向があることである(資3-3-9)。このため、新規学卒者を中心とする30歳未満の労働力人口(※6)に占める常用雇用者の比率は減少し、10代後半の労働者で常用雇用の職に就くのは2人に1人となっている(資3-3-10)。

※6 15歳以上人口のうち、就業者と完全失業者を合わせたもの。

(転職率の上昇)
 また、新規学卒者の就労状況については、3年以内に会社を辞める割合が、中学卒で7割、高校卒で5割、大学卒で3割に達している(資3-3-11)。企業経営者側からは、定着率の低さのみならず、新卒者の基本的知識・技能など質の低下を指摘する声も多く聞かれる(資3-3-12)。人材を育成してもすぐに辞めてしまう現実を前に、新卒者よりも実践力、即戦力のある定年退職者や経験者などを中途採用する企業が多くみられる(資3-3-13)。また、フリーター経験に対する企業の評価は中立又は否定的であり(資3-3-14)、フリーター経験者は定職についた後も賃金が低くなる傾向がある(資3-3-15)。
(学歴間格差の懸念)
 今日、日本市場に新規参入する外資には、ITや金融関連企業が多く、単純労働への需要は縮小する一方、ハイテク機器とそれを補完する頭脳労働への需要が高まっている。雇用は、成果や実績中心の評価体系に基づき、高学歴層中心となりつつある。米国など諸外国でもみられるこの学歴間の経済格差拡大の傾向(資3-3-16)が日本でも懸念されている。

4 地域
(郊外地域社会の活力低下)
 高度経済成長期における大都市圏への大量の人口流入で作り出された広大な郊外住宅地は、昼間人口と夜間人口が大幅に乖離し(資3-4-1)、地域社会形成の困難さが指摘されてきた。今後、高齢化、人口減少の下で更に活力を失っていくのではないかと懸念されている。
(都心回帰と困難な地域社会の再生)
 都心部では、昼間人口が夜間人口を大幅に上回る空洞化が進行してきた。その中で比較的維持されてきた下町社会も、バブル経済による地上げの進行、その後の世界的な経済競争の激化の下で、中小の商店、工場が閉鎖され活力を失いつつあるといわれている。
 一方で、バブル経済崩壊後の近年、都心の利便性を志向する根強い需要に支えられ、都心部における分譲マンション供給が増加しており、これが都心回帰の大きな要因になっているといわれている(資3-4-2)。特に、東京都区部における人口推移についてみると、平成8年まで人口の減少が続いていたが、平成9年以降、都心部でも人口増加に転じている(資3-4-3)。このような都心への回帰現象による住宅建設には、超高層マンションや大規模マンションも多く(資3-4-4)、住民増による地域社会活性化の可能性もある一方で、既存の地域と対立的であったり無関係であることもあり、必ずしも生き生きとした地域社会の再生・創出にはつながっていないといわれている(資3-4-5)。
(地方都市の中心市街地の空洞化)
 地方都市においては、郊外のショッピングモール建設やモータリゼーション(※7)の進展などとあいまって、中心商店街の「シャッター通り化」が進行し、人々が集う空間が失われつつある。

※7 自動車が生活必需品として普及する現象。自動車の大衆化。

(自由な外遊びの減少)
 今日、青少年が自然に地域の人たちと出会い、自由に集まって安全に遊べる路地、原っぱなどが地域の中から消失してきている。現代の子どもの自然体験は、親世代の子どものころに比べて減少しており(資3-4-6)、小学生が普段友だちと遊ぶ場所は、自分や友だちの家が多く、外で遊ぶ場合でも、学校の校庭や公園など人工的に管理された空間となっている(資3-4-7)。
(少ない遊び場)
 小学生では「自分の部屋にいるのが好き」とする割合が6割以上である。しかし、外へ行くのは面倒くさいと思っているのは2割程度にすぎず、半数の子どもが「地域に遊び場が少ない」と思っている(資3-4-8)。「あってよかった」、又は「ないが、あったらよい」と思う場所として、「公園」、「川や池」、「子どもが遊べる空き地」などかつての地域にあった空間に加え、「コンビニエンスストア」、「スーパーマーケット」などが上位に挙がっている。「現在ないが、ほしくもない」場所には、「田んぼや畑」、「昆虫の捕れる森林」、「神社やお寺」などが挙がっており(資3-4-9)、現代の子どもたちがこのような場所に触れた経験が少ないことをうかがわせる。
(近所との付き合いの減少)
 小学生が休日に一緒に過ごすことの多い相手は、母親、兄弟など家族が増え、その分、学校や近所の友達などが減っている(資3-4-10)。過疎地域などでは子ども数の減少で、友達になれるような年齢の近い子どもが近所に少ない場合もある。
 大人たちの間でも近所との付き合いはあいさつ程度が望ましいと考える者が増加し、その割合は4人に1人となっている(資3-4-11)。そうした風潮の下、近所の大人から注意されたり、しかられた経験のある青少年は3割程度となっている(資3-4-12)。
(団体活動への参加)
 青少年にとって、学校以外の場で様々な活動に参加することは、体験を豊かにし、多様な人々と交流する重要な機会である。各種の団体への加入状況をみると、小・中学生ともに「子ども会」や「スポーツ関係の団体」への加入が比較的多い。近年、「子ども会」への参加は減少し、「スポーツ関係の団体」など特定目的の団体への加入が増加しているが(資3-4-13)、全体としてみれば小学生の約3割、中学生の約8割は団体活動に参加していないという現状である。近年盛んになってきている青少年のボランティア活動についてみると、全体として参加比率が高まっており、特に10〜14歳の参加比率は高い(資3-4-14)。

5 情報・消費の場
(1)情報
(情報源)
 情報化社会といわれる今日、青少年が世の中の出来事や動きを知るための情報源として利用されているものは「テレビ」が際立って多く、次いで「新聞」、「友達」が続く(資3-5-1)。
(多いテレビとの接触、少ない新聞・本との接触)
 今日、小学生の14%、中学生の26%、また、高校生の41%が自分専用のテレビを持っており(資3-5-2,3-5-3)、普段学校のある日に約4割の小・中学生が4時間以上テレビを視聴している(資3-5-4)。テレビニュースの視聴時間は、学校段階が進むほど長くなるが、「まったく見ない又は10分未満」の割合が中学生では35%、高校生では29%に上る(資3-5-5)。また、新聞を読む時間は中学生の6割、高校生の5割が「まったく読まない又は5分未満」と答えている(資3-5-6)。
 読書活動については、特に中学・高校生の間で1か月に本を一冊も読まない者の割合が昭和50年代から上昇傾向にあったが近年下降の傾向がみられる(資3-5-7)。
(余暇活動の個人化・受動化)
 普段学校のある日に、小・中学生のほぼ4人に1人が1日に2時間以上テレビゲームをしており、特に男子は4割と高い(資3-5-8)。また、休日の過ごし方として、テレビ視聴、テレビゲーム、マンガを読むことなどが多く挙げられており(資3-5-9)、個人化・受動化した青少年の余暇活動の様子がうかがわれる。
(携帯電話の普及)
 また、携帯電話、パソコン、インターネットなど高度情報通信技術を活用した新しいメディアが急速に普及している(資3-5-10)。今日、中学・高校生の約半数がインターネットを利用しており(資3-5-11)、高校生では携帯電話から最も多く接続している(資3-5-12)。
 また、中学生の23%、高校生の83%が携帯電話若しくはPHSを持っており(資3-5-13)、携帯電話は青少年にとってテレビに次いでなくてはならないメディアとして位置づけられ、その必要度は活字系をはるかに抜く(資3-5-14)。
 携帯電話は移動電話というより、家族に知られずに使える自分専用の電話として利用されている(資3-5-15)と同時に、メール機能も多用されている(資3-5-16)。いつでもどこでも連絡できるという安心感を得ている(資3-5-17)一方で、番号表示を見て相手を選んで出るなど(資3-5-18)、選択的に関係をコントロールしている様子がうかがわれる。
(高度情報通信技術の影響)
 高度情報化の進展は、青少年の生活意識・行動の面にも影響をもたらしている。12〜30歳未満の青少年の55%が、「できるだけ広い範囲の人に自分の意見を知ってもらったり、作品を見てもらったりしたい」(資3-5-19)、40%が、携帯電話やPHSがあることで「今までの友達関係をより強くするのに役立っている」、「友達を身近に感じることができる」と回答している(資3-5-20)。また、15〜19歳の青少年の約2割が、インターネットでの情報収集・ダウンロードの利用により、「新しい友人・仲間ができた」、「趣味が広がった」、「行動範囲が広がった」と回答している(資3-5-21)。
(出会い系サイトなど)
 昨今、出会い系サイトなど、見知らぬ異性との出会いを目的としたメディアが出現しているが、調査結果によると、中学生男子の1.5%、女子の2.9%、高校生男子の9.4%、女子の6.7%が、「よく」、「どちらかというとよく」アクセスしていると回答している。また、中学生男子の22%、女子の19%、高校生男子の48%、女子の18%がポルノコミックを、さらに、中学生男子の13%、女子の5%、高校生男子の39%、女子の3%がアダルトビデオを「よく」、「どちらかというとよく」見ていると回答している(資3-5-22)。

(2)消費
(小遣い・お年玉)
 大量消費文化は子どもの消費生活にも大きな影響を与えている。今日、小学校高学年児童の3人に2人は小遣いをもらっており、平均額は一か月当たり981円となっている(資3-5-23)。もらったお年玉の平均合計金額は2 万5,000円であり(資3-5-24)、4人に3人が預金通帳を持っている(資3-5-25)。また、高校生の約3割がキャッシュカードを持っている(資3-5-26)。
(消費の楽しみ)
 さらに、高校生の約4割がブランド物を所有しているほか(資3-5-3)、よく行うこととして約半数が「友だちとよく買い食いをする」、「おしゃれにお金をかける」、約4割が「コンビニをぶらぶらする」、「ウィンドーショッピングをする」と答えている(資3-5-27)。
(消費に便利な環境)
 近年の消費生活の利便性を高めたものとして、コンビニエンスストアなどの増加が挙げられる(資3-5-28)。食料の購入先についてみると、単身世帯のうち30歳未満層は、スーパーと並んでコンビニエンスストアを利用しており、かつ増加傾向にある(資3-5-29)。
 また、首都圏の小学生の調査では、家の近くにコンビニエンスストア(84%)、スーパーマーケット(80%)、ファミリーレストラン(55%)があり(資3-5-30)、自分が住んでいる地域は「買い物をするのに便利」という答えが8割近くに上り(資3-5-31)、青少年が便利な環境の中での消費生活を享受している様子がうかがえる。
(夜間の消費環境)
 また、小売店の営業時間の延長、コンビニエンスストア等の終日営業店の増加(資3-5-28)、自動販売機の普及など(資3-5-32)、人々の生活の夜型化と併せて深夜の時間帯に購買・消費を行える環境が増加している。

W 年齢期ごとの課題
 青少年に関する施策は、成長の段階ごとに適切に実施されなければならない。ここでは、乳幼児期、学童期、思春期、青年期の四つの年齢期に分けてそれぞれの期の青少年の成長の特性と、Vで述べたような今日の状況に照らし、育成に当たって特に課題となっているものを挙げる。
 なお、挙げられている課題はその期を中心とするが前後の時期にも及ぶものである。
1 乳幼児期
 乳幼児期は、母親や父親など特定少数の人に対し、人間への基本的信頼と愛の感情を育てていく基礎となる強い愛着関係(※8)を形成するとともに、複数の人々との多様なかかわりを通じて認知や情緒を発達させ人格を形成していく時期である。その後の発達の土台となる「安心できる・安全である・愛されている」という三つの感覚を子どもたちが確かに持ち、睡眠、食事とともに発達に応じた豊かな遊びを享受できる環境を保障するために、この時期に課題となるのは、次の三つである。

※8 アタッチメント。人生の初期に成立する特別の強い情愛的絆。

(1) 母親への支援
(愛着関係形成のための支援の必要性)
 愛着関係の形成には、乳幼児と特定の人との間に、積極的な相互の働きかけ、見つめ合い、聴き合い語り合い、触れ合いを基本とした心理的相互作用が豊かに展開される安定した関係が築かれていることが必要である。Vでみたような現代の養育環境においては、この愛着関係をはぐくむのは、多くの場合、母親が中心となり、それに父親、祖父母、保育者などがかかわっている。しかし、里帰り分娩の減少、近所付き合いの変化などで、夫の支援のない核家族家庭の母親は孤立した状態で育児を行っている場合も多く、それまでに育児経験がないことなどともあいまって、産後うつ病や育児不安などの不安定な心理状態に陥っている者も少なくない。これが虐待の原因となる場合もある。首都圏近郊で0〜2歳児の第1 子を持つ母親を対象とした調査では、55%が「子どもと一緒にいると辛く感じる時がある」と回答している(資4-1-1)。また、ある全国調査では、9割近くの母親たちが「時には育児をつらく思うことがある」と回答しており(資4-1-2)、その理由として、「一人の時間がない」(トイレに行くときでさえ一人になれない)、「話し相手がいない」、「社会との接点がもてない」(先がみえない)などが多く挙げられている(※9)。
 母親との愛着関係の形成には、母親ができるだけ安定した心理状態にあることが望ましく、このような観点から母親に対し、夫を始め家族や身近な知人、友人の支援や、さらに必要に応じて専門家の支援が行われることが望まれる。

※9 大日向雅美「子育てと出会うとき」(NHKブックス 1999年)

(夫の支援)
 産後の母親に対する夫の支援には、出産時や産院からの退院時に夫が育児休業を取るなどしてそばにいて家事育児を共に行うこと、妻が専業主婦でも夫も休日や帰宅後に育児を分担することなどがあるが、妻の労苦をねぎらい相談事に耳を傾けるなどの精神的な支援だけでも母親の心理的安定に有効である。
(地域の支援)
 また、孤立した育児を避けるためには、家族などの支援のほか、母親の就労の有無を問わず地域の様々な子育て支援が求められる。支援は、母親の育児放棄を助長するという意見もあるが、中にはそういう母親がいるとしても全体からみれば少数と考えられる。現在ほど母親一人に育児の負担が集中している時代はないこと、特にそれまでに乳幼児との接触経験をもたない者が親になっていることを踏まえると、育児に積極的な姿勢で取り組むきっかけをつくり、親として育っていけるようにするためにも、子育てを社会的に支援することの重要性は極めて高い。
 産後うつ病などの場合には、早期に発見・介入できるよう専門家が支援できる体制の整備が必要である。
(就業との両立支援)
 両親共に就業している場合には、育児休業など母親又は父親が養育に十分に携わることができ、かつ経済的に自立できるような社会整備が必要である。さらに、退職や休業をして育児を行っている母親が社会からの孤立感、閉塞感をもたずにすむよう、子育て中でも社会参加できるような環境整備や、子育て後の職場復帰や再就職の円滑化が望まれる。また、両親共に就労を継続している場合でも、心理的ゆとりをもって子との時間を過ごせるようにすることが必要である。仮にも子育ての際に仕事との両立で後ろめたさを感じることのないよう、また、二重保育や病児保育の際に切迫した「綱渡り」感をもたずにすむよう、保育サービスの質の確保と利用の弾力化が求められる。あわせて、男女共に育児休業を取りやすく、長時間労働をしなくてすむ、働き方の見直しが必要である。個人の意識改革も必要だが、企業にも、従業員の効率活用の視点のみならず、次世代人材育成という社会的責任の認識を期待したい。

(2) 男性の子育てへの参画
(父親の参画の現状)
 総務省の社会生活基本調査(平成13年)によると、乳幼児期の子を持つ父親の育児時間は25分、家事時間は23分で、有業の母親の育児1時間52分、家事3時間45分に比べても、諸外国の父親に比べても相当に少ない(資4-1-3)。また、厚生労働省「第1回21世紀出生児縦断調査」(平成13年)によれば、6カ月児の父親が「いつもする」が比較的多いのは「入浴」と「家の中での相手」で4割程度だが、「食事の世話」「おむつの取り替え」「寝かしつけ」「散歩など」ではいずれも1 割に満たない(資4-1-4)。同調査で、複数回答の設問でも普段の保育者として父親を挙げている者は46%である。また、祖母21%に対して祖父は9%と、家庭での子育ては女性とりわけ母親が中心となっている(資4-1-5)。
(父親の参画の意義と支援)
 しかし、父親の育児へのかかわりは単に母親の育児負担を軽減するためというだけでなく、子の成長にとって積極的な意義をもっている。乳幼児期に父親が平均以上に育児にかかわっている方が子の抑うつ傾向(※10)が低いという調査もある(資4-1-6)。

※10 もの悲しく、憂うつで沈んだ気分のこと。健常人でもこの感情は生じるが、うつ病の場合はこの抑うつ感が数週間から数か月持続する。

 内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」(平成12年)によると、20代、30代の男性では「仕事に専念」と「仕事を優先」の合計を、「仕事と家庭を両立」と「家庭を優先」の合計の方が上回るなど、父親の意識は変化してきている(資4-1-7)。それにもかかわらず現実にはあまり子にかかわれていないのは、特に30代40代の男性の労働時間が長いからと考えられる。30代の男性の平均週間就業時間は50時間に上り、4人に1人は60時間以上就業している(資4-1-8)。30代の妻の夫の帰宅時間は3人に1人が9時以降という調査もある(資4-1-9)。勤務時間内の仕事の密度の問題や父親自身にも仕事を理由に子育ての負担を避けようとする意識があるのかもしれないが、企業の新規採用の抑制によりしわ寄せがきているという構造上の問題もあるのではないだろうか。残業時間をできるだけ縮減し、職場の都合を優先することを当然とする職場の慣行や育児休業を取りにくい雰囲気を改めるなど男性の働き方における仕事と生活のバランスをとるための努力と支援が、企業、個人共に求められる。あわせて、長距離通勤時間を短縮するための、職住近接のまちづくりも必要である。
(地域の子育てへの男性の参画)
 また、家庭内の子育てのみならず、男性は保育士の0.9%(※11)、幼稚園教諭の6.1%(※12)と少なく、地域の子育て支援にも女性が多いなど、乳幼児期の子育てに男性がかかわることが少ない。しかし、子どもの成長には女性のみではなく男性とふれあいかかわることも必要である。比較的時間にゆとりのある世代として家庭内では祖母のみでなく祖父も子育てにかかわり、また地域社会ではサラリーマン退職者がボランティアとして子育て支援に取り組むなど、男性がもっと子育てにかかわることが求められている。年配の世代がかかわる際には、社会経済状況の変化で子育てをめぐる状況も変化していることを理解し、「最近の若い母親は」という一方的な非難や説教にならないよう留意が必要である。

※11 厚生労働省「社会福祉施設等調査報告」(平成12年)による。
※12 文部科学省「学校基本調査」(平成14年度)による。

(3) 地域での子育て支援
(地域での子育て支援の現状)
 現在の我が国では、家族・親類や地域の人々の支援が必ずしも十分に得られていないこともあり、乳幼児期の子育ては家庭で母親が中心となって担い、これを認可保育所、幼稚園など公的な施設によるサービスが補完している。
 共働き家庭などの子どもを対象とした保育所は、特に都市部でニーズが増加し、待機児童(※13)は平成14年4月現在2万5,000人(※14)となっている。特に3歳未満の低年齢児保育、延長保育などのニーズが増加している。また、近年の子育て支援のニーズにこたえ、教育施設である幼稚園においても、通常の利用時間の前後に行う「預かり保育」を約6割で実施している。

※13 保育所入所申込書が市区町村に提出され、かつ、入所要件に該当しているものであって、現に保育所に入所していない児童。
※14 厚生労働省「保育所の状況等について」(平成14年4月1日)による。

(母親の就労と子育て支援)
 子どもの成長における乳幼児期の重要性にかんがみ、3歳未満の子の母親の就労について「望ましくない」との意見をもつ者が一般には多い(資4-1-10)。しかし、国内外の様々な調査によると、乳幼児期の母親の就労が子の成長に与える影響に有意な差はないという結果が多い。マイナスの影響を与える、あるいは逆にプラスの影響を与えるという結果は共に少ないが、中ではプラスの影響を与える結果の方がマイナスの影響を与える結果より多い。調査結果から分かることは、子の成長は、母親のかかわり方、保育サービスの質などによって大きく異なり、母親の就労の有無というような単一の要件だけで左右されるものではないということである。
 また、非労働力化している女性のうち就業を希望する者は労働力率(※15)の低い30代に多く、労働力人口にこれらを加えて算出した潜在的労働力率(※16)は、子育て期の女性でも7割以上ある(資4-1-11)。生産年齢人口の減少がいわれる今必要なことは、母親の就労の是非論を超えて、母親や父親が子との愛着関係形成や子育てを行う責任を前提とし、それが確実に行われるよう社会が支援していくことではなかろうか。具体的には、母親の就労の有無を問わず両親などの保護者が安心、安定して子とかかわり、育てることができる環境整備と、保育サービスが利用される場合にはその質を確保することである。

※15 15 歳以上人口に占める労働力人口の割合。
※16 労働力人口に就業希望者を足したものを15歳以上人口で除し100をかけた値。

(保育所と幼稚園の連携強化)
 既に述べたとおり、地域での子育て支援においては、保育所と幼稚園が中心となっている。保育所は3歳未満児も対象としていること、保育時間が長いことから教育と共に養護も必要であることなどの特性をもっている。一方、幼稚園は教育施設であること、母親の就労の有無にかかわらず利用できることなどの特性をもっている。これら両施設の特性を踏まえつつ、市町村などが子どもの育成のための取組を総合的に行えるよう、保育所と幼稚園の施設の共用化、保育士と幼稚園教諭の両資格を共に取得しやすいような履修科目の見直し、保育所保育指針と幼稚園教育要領の内容の整合性をとるための見直しなどが進められてきている。今後とも地域の実情に応じて両施設の連携強化や一体的運営を可能な限り容易にする方向で見直しが求められる。
(子育て支援のネットワーク化)
 親族や地域の人たちの子育て支援が減少した現在の状況では、教育ニーズや共働き家庭の保育ニーズだけでなく、一時預かりや子育て相談、情報交換など様々な支援が必要とされている。近年、従来の保育所や自治体のサービスだけでなく、企業によるサービスも都市部を中心に増加し、さらに子育て中の母親が集まってつくる子育てサークルや中・高年齢者による子育て支援活動が活発化するなど、新たな共助も育ってきている。また、家庭の子育て支援という意味だけでなく、子どもの成長には多様な人々から行動や態度を学びとる機会が必要という意味からも、地域で多様な人たちが子育てにかかわることが重要である。市町村等が必要に応じてこれらの活動をネットワーク化し、調整・支援するなどによって地域での子育て支援を充実し、子育てにおける自助、共助、公助のバランスをとることが求められる。

2 学童期
 学童期は、後の成長の基礎となる多様な知識経験を蓄積する時期である。生活の中心が家族から仲間へと進み、仲間との相互関係の中で自分の役割や連帯感などの社会的意識を獲得していく。この時期に課題となるのは、次の四つである。
(1)基本的生活習慣の形成
(生活習慣上の問題点)
 睡眠、食事、排泄などは、健康の基礎であり、子どもの心身の成長にとって大きな影響をもつ。これらを親などから言われなくても一定のリズムで自発的に行えるようにする基本的生活習慣の形成は、子どもたちがこの時期及び将来に様々な活動を展開する上での基盤となるものである。生活習慣は社会の変化に伴って変化するものであるので、それが「従来の規範に照らして正しい」ことを求めるものでは必ずしもないが、「健康にとってよいか」という観点に照らしてみても今の子どもたちの生活習慣には見過ごせない問題がうかがわれる。
 社会全体が夜型化していく中で、子どもたちの生活も夜型に移行し(資3-1-5, 3-1-6)、遅い就寝、遅い起床、目覚めの悪さ、食欲のなさや時間のなさからの朝食欠食がみられる(資4-2-1, 4-2-2)。「つかれる」「だるい」「いらいらする」などの不定愁訴(※17)も多く、朝食欠食の子どもは不定愁訴の割合が高い傾向があるという調査結果もある(資4-2-3)。また、一部の学童期の子どもが中学受験を目指すなどのために夜遅くまで塾に通っていることが、子どもの心身に過大な負担を与えている問題も指摘されている。生活習慣の乱れは肥満、体力の低下、ひいては気力や意欲の減退、集中力の欠如などにも影響するといわれている。
 また、朝食や夕食を一人で食べる子どももみられる(資4-2-4)。1人で食べるときに楽しいと感じている小学生は3%で、3人に1人が家族そろって食べるときに食事を楽しいと感じており、4人に1人は学校給食のときが楽しいと感じているなど、家族や友だちと食べるときが楽しいと感じている(資4-2-5)。

※17 自分の身体に関する苦痛となる症状があるにもかかわらず、原因となる器質的な所見が見つからない場合をいう。例えば、全身倦怠感、めまい、頭痛、頭重、動悸などである。それに伴って不安や気分の落ち込みなど心理的な変化も生じやすい。

(親の責任と社会的支援)
 基本的生活習慣の形成のための働きかけは、一義的には家庭で親がしつけるべきことであり、実際、起居を共にする家庭で行われることが最も効果的であると考えられる。しかし、親たちの生活も夜型化しているため、家庭内で子どもたちに基本的生活習慣の形成を促すことは以前より困難になってきている。親たちが過度に夜型の自分たちの生活リズムに子をできるだけ巻き込まないように留意するとともに、これら親たちの働きかけを支援するためにも、社会全体で今以上に仕事と生活のバランスを重視することが必要なのではなかろうか。また、学童期の子を持つ親が、子の成長発達やかかわり方についての情報を得る機会が、乳幼児期に比べて少ないとの指摘もあり、この点でも支援が必要である。
 朝食欠食の背景には生活時間の乱れが考えられ、単に朝食をとれるようにしただけですべて解決するわけではないが、育ち盛りの子どもが起床後昼食まで食事をしないまま過ごすことは防いだ方が良い。
 家庭の事情や子どもの成長段階に応じて、栄養バランスを考えながら加工食品や調理済み食品を利用したり、子どもが簡単な食事を自分で用意できるように日ごろから教えたりしておく工夫があってもよいのではないだろうか。アジアには、朝食は学校前の屋台で食べたり、夕食も惣菜を買って帰って済ませたりすることが普通に行われている国もある。方法は多様であっても親の責任として子がきちんと三食楽しくとれるよう配慮することが求められる。また、現実にそのような配慮を受けられない子どもに対しては、別途の社会的支援が望まれる。

(2)基礎的学力の習得
(学力、学習意欲をめぐる議論)
 「完全学校週5日制」や教育内容を削減した「新学習指導要領」(※18)の全面実施などを背景に、青少年の学力低下を懸念する声が大きく聞かれるようになり、平成14年に社団法人日本PTA全国協議会が実施した調査では、子どもの学力低下について保護者の4人に3人が心配している(資4-2-6)。
 学力の実態については、平成12年にOECDが実施した学習到達度調査(PISA)では、我が国は上位を占めている(資4-2-7)。また、国際教育到達度評価学会(IEA)による過去4回の国際数学・理科教育調査では、小・中学校レベルとも国際的に高水準にあるといえる。しかしながら、順位について我が国は低下傾向にあること、また、調査対象となっている東アジア地域の国々の中では下位にあることを懸念する声もある(資4-2-8)。

※18 算数・数学、理科などを始めとする各教科の教育内容が、学年ごとに見れば3割程度削減された。その削減の中には、学年間や教科間で重複する内容の移行・統合も含まれている。

 国立教育政策研究所が実施した「平成13年度小中学校教育課程実施状況調査」については、平成13年度までの学習指導要領の目標や内容に照らした児童生徒の学習状況は、結果評価の基準となる設定通過率(※19)に照らして全体としておおむね良好との見方がある(資4-2-9)。一方、平成5〜7年度にかけて実施された前回調査での同一問題の通過率比較でみて、学力の低下がうかがわれるとの見方もある(資4-2-10)。
 また、学校外における学習時間は年々減少し、IEA調査によると数学及び理科が「大
好き」「好き」と答えた子どもの割合は国際平均値を大きく下回るなど(資4-2-11)学習意
欲の低下が懸念される。
 なお、一部の保護者・子どもの間で、公立中学・高校では学力が低下するとの不安など
から、私立中学・高校への志向が増加し、少子化にもかかわらず、首都圏等の私立中学の
競争率は上昇している(資4-2-12)。

※19 学習指導要領に示された内容について、標準的な時間をかけ、学習指導要領作成時に想定された学習活動が行われた場合、個々の問題ごとに正答、準正答の割合の合計である通過率がどの程度になると考えられるかを示した数値。

(学習への動機づけと学習支援)
 学童期の学力はその後の学習の基礎となるものであり、ここでのつまずきはその後の学習を困難にする可能性が高い。学ぶべき時期に基礎知識・技能をしっかり習得することは、将来の社会的自立に向けて、人生における選択肢を広げる上で必須である。また、段階的に自ら学習する習慣を身につけ、自ら学習する意欲や思考力をはぐくむことも必要である。
 学校においては、授業を分かりやすくする努力など様々な学習への動機づけを工夫するとともに、一人一人の個性や能力をできる限り伸ばしていくことの可能な環境整備が必要である。具体的には、少人数学級化・教職員配置の一層の充実、教員が授業に集中できる支援体制の充実、授業内容の公開による教授能力の質的向上と指導方法の改善などが考えられる。
 また、特に、学校以外での学習が困難な環境にある子どもに基礎的学力の重要性を理解させ、その習得を支援していくことが必要である。

(3)他者の認識と自己の形成
(自己中心性と過剰同調)
 マイクの前でも臆することなく話すなど一方的な意見発表には優れている子どもも珍しくない一方で、仲間内で浮くことを恐れて自分の意見を言わない子どもも少なくない。自己中心的な態度や主張が指摘される一方で、いじめや逸脱行動の背景に集団内での過剰な同調も指摘される。一見相反するようにみえる言動は、いずれも、自分とは異なる意見をもつ他者を認識し、他者との関係の中ではぐくまれる自己意識が未発達なことに起因するのではないだろうか。

(コミュニケーション能力の育成)
 自他の違いを認め尊重し合い、他者と共生できる主体的な自己を形成していくには、子どもが自分で考え、意見を表明し、併せて相手の意見を聞き、コミュニケーションする経験が必要である。コミュニケーションを通じて、子どもは、相互に意見が異なることに傷つくことなく、他者を自分とは異なる、しかし自分と同じく尊重すべき人間として認識し、共感する能力をはぐくむことができる。このような経験を、家庭や学校を始めとする様々な生活場面で日常的に得ることができるよう、大人たちの支援が求められる。子どもの意見に真摯に耳を傾け、間違っていても頭ごなしに否定するのではなく説明する姿勢、正しい答えを性急に求めることなく、他人の真似ではない自分の意見を子どもが表明することを促し尊重する姿勢が求められる。このような大人の対応により自尊感情がはぐくまれてこそ、他者の意見に耳を傾けることができる。
 また、他者の意見と異なるものであっても自分の意見をきちんと対峙させられる力の習得は、例えば、不審に思いつつも大人に言われるままに付き従って誘拐等の被害に遭ったり、思春期以降に集団内の暴行事件に巻き込まれたりすることを予防することにもつながる。
(集団にかかわる経験)
 他者への認識と共感能力の形成によって、子どもたちは、帰属する集団の成員相互に関心と愛着と信頼をはぐくむことができる。さらに、集団に積極的にかかわる経験を積むことにより、自分がどんな役割を果たすことが期待されているか、自分が行動する場がどのように意味づけられているかを理解することができる。
 例えば、日常的な子どもの集団遊びは、互いの異質性が生み出す葛藤から違いを知り、それを認め合う機会にあふれている。また、皆で遊ぶ楽しみは、遊びのルールに従うこと、自分の役割を適切に遂行すること、互いに協力することなどを知らず知らずのうちに体得することにつながっており、義務感や連帯感もはぐくまれる。また、人数が足りなくても工夫しながら草野球を行うときのように、遊び仲間の中で了解が成立すれば、状況に応じてルールを変えることもできるし、新しいルールを作り出すこともできるので、体験的に社会規範を習得し、自律性を培うことができる。
 家庭において子どもが小さいことでも家事の一つを任されて行うことなども、子どもが家庭での自分の役割と行動の意味を認識する経験として効果的である。学校における集団生活、集団活動においても様々な機会が得られるし、地域の青少年団体やボランティア団体での活動も有意義な機会となる。このような経験を通じ、子どもたちは、集団や社会の一員としての責任を感得していく。
 このような経験には、集団の成員相互の間での小さな摩擦・あつれきはつきものであり、子どものケンカに親が出て行くような過保護・過干渉は子どもの自律性を損なう。大人には、多様な機会を提供し、一歩引いて見守る姿勢が求められる。

(4)のびのびとした時間・空間の創出
(のびのびした時間・空間の減少)
 少子化、消費社会化の進行で、子どもたちの生活は学びであれ遊びであれ、決まった手続で行動や意識が統制されるプログラム化されたものが多くなっている。教育的配慮によって、大人の管理・指導の下で時間どおり、メニューどおりに進められる学習塾、スポーツクラブ、お稽古ごとなどで多くの時間を過ごす子どもがいる。一方で、受動的にテレビを見たり、テレビゲームのような遊び方の決まった商品での遊びに多くの時間を費やしている子どももいる(資3-5-4, 3-5-8, 3-5-9)。
 また、モータリゼーションが進むにつれて、地域社会での日常的な人々の交流が少なくなり、大人の目が自然に届く路地や広場のような、安全に遊べる場所が少なくなっている。このため、(3)で述べたような子ども同士での集団遊びの機会が少なくなり、子どもの創造性や想像性、連帯感や規範の体験的な習得などへの影響が懸念されている。
(自然に出会い、自由に集える場づくり)
 消費文化が進展した今日、単に教育的管理の時間を減らすだけでは、子どもたちにのびのびした時間を取り戻させることは難しい。子どもたちを消費社会の圧力・誘惑から遠ざけるとともに犯罪や事故の危険から守り、子どもたちがのびのびと時間を過ごせるための積極的な場づくりが必要である。子どもが他の子どもたちや大人たちと自然に出会い、子ども同士でも自由に集える空間をまちに取り戻すことが求められる。
 このような取組としては、地方公共団体や住民たちによって各地で行われている、空き店舗の活用等による居場所づくりや冒険遊び場のような活動などが有効である。親も、子が学童期になれば、親子で地域社会に出て行く機会を得やすいので、子どものための場づくりにかかわることなどをきっかけに、積極的に地域社会の担い手となることが期待される。また、中心市街地活性化事業などのまちづくりへ大人の住民と共に子ども自身が参加することは、環境について生きた学習をすると同時に地域社会に活躍の舞台を得られ、社会の中で生きる楽しさ、役に立つ喜びを感じられるという意味で意義深い。
 また、子どもたちがどこで犯罪に遭っているかについての調査によると、同じ公園という施設でも、近隣住民によってよく利用されているか、隣接する住宅の居住者にとって自己の生活にかかわる空間として意識されているか、近隣の店舗で働く人や利用する人の目が届きやすいかなどで安全か危険かが分かれるとの結果がある(※20)。子どもたちを犯罪から守るためには、子どもたちに自然に目が届くような空間づくりが重要である。そのためには、一つの空間に複合的な機能をもたせること、また、そのような空間を独立して考えるのではなく、周囲の空間とかかわり合いながらまちを形成するという志向が求められる。

※20 中村攻「子どもはどこで犯罪にあっているか−犯罪空間の実情・要因・対策」(晶文社 2000年)

3 思春期
 思春期は、子ども期から脱した若者が更に大人へと成長していく移行期であり、自分らしさを確立するために模索する時期である。徐々に広い社会へと目を向け足を踏み出していくが、心身ともに揺れ動く不安的な時期であり、様々な悩みを抱える時期でもある。適切な距離を保ちつつ若者を支え、自分らしさの確立を支援していく観点から、この時期に課題となるのは次の四つである。
(1) 社会の中での自分探し
(社会的関心の低下)
 現代の若者は、我が国が高度経済成長期から安定成長期へと移行した後に生まれ、数多くの便利な物やサービスの恩恵を受けて豊かに育った。一方で、産業構造が変化してサラリーマン化が進み職場と住居が離れるようになるに従い、家庭や地域の中では大人の働く姿が見えにくくなった。また、雇用慣行が変化し、不本意に職場を去らなければならない状況を耳にするようになり、サラリーマンの仕事に対する希望も薄れてきた。このような社会経済構造の変容の下、将来に対する明るい展望を持ちにくくなり、若者の職業志向や社会への関心が低下している(資4-3-1)。徐々に社会に目を向けていくべき思春期において、若者たちの自分探しが趣味や消費へと向かう傾向があるのは、社会と自分との関係を実感できなくなっているからではないだろうか。
(現実社会を経験する意義)
 現代の社会においては、思春期の若者のほとんどは学校に通っており、生活時間の多くを学校で過ごしている。しかし、現実社会の価値と学校社会の価値の差が大きいことが、近年の就職した若者の職場への不適応による早期離職傾向などにつながっているのではないかと指摘されている。若者の社会の一員としての意識をはぐくむためにも、現実社会に適応する技能を学校で学ぶ意欲を高めるためにも、学校以外の現実社会と直接にかかわる経験が求められている。これに関連して、学生や生徒も社会の一員であることをあいまいにするような「社会人」と「学生」「生徒」を対比させる言葉遣いについても再考が望まれる。
(学校外での社会参画の支援)
 現実社会を経験するための具体的な方策は様々にあるが、例えば、インターンシップ(※21)やボランティア活動を通じて社会とかかわることは有効であるし、アルバイトには社会のマナーや人間関係を身につけるトレーニングの場という一面もある。また、近年は、各種の市民活動も盛んになっており、NPO団体などが行うボランティア活動等への若者の参加の機会は増えつつある。大学生が中心ではあるが若者グループで企画し運営する諸活動も各地でみられる。その他、中学・高校生の約4割が国際交流体験があると回答している調査もあり、国際化を反映した活動も行われている(資4-3-2, 4-3-3)。
 このような様々な活動への参加は、思春期のあふれるエネルギーが反社会的な行動や非社会的な行動に向けられることなく、社会に前向きにかかわる形でいかされるという観点からも有益である。
 若者が現実社会とかかわるに当たっては、その自主性を尊重しつつも、事故や被害に巻き込まれないよう大人の一定の配慮と支援が求められる。

※21 学生が在学中に自らの専攻、将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと

(学校に社会の風を入れる)
 現実社会に触れる方法には、このように若者が学校外に出かけていくほかに、学校の中にもう少し現実社会の風を入れるという方法もある。例えば、学校に多様な職業に実際に携わっている人を招いて学ぶことは、若者が将来の職業について現実的なイメージをもつ上で有効である。近年、我が国と同様に若者の職業志向や社会への関心の低下に悩むイギリスやスウェーデンなどでは、社会の一員としての価値観を形成し、民主主義への参加態度を習得させるシティズンシップ教育(※22)が重要視されている。抽象的な経済や法律、政治や社会の仕組みだけでなく、お金の使い方や法律によって決められている自分たちの権利や義務、税や社会保障制度などを具体的な現実の自分の生活とのかかわりの中で学ぶやり方は、我が国でも、若者が社会の一員としての意識を深める上で大いに参考になると考えられる。

※22 生徒の社会的・文化的成長を促進し、将来、市民としての十分な役割を果たし得るための知識・態度・技能を身につけさせることを目的とした教育。近年のイギリスのカリキュラム改革などにおいて重視されるようになっている。

(2)社会規範の習得
(アンバランスな規範意識)
平成に入って少年犯罪が増加傾向にあることなどから、若者の規範意識が低下しているのではないかとの懸念が強くなっている。いくつかの行動について中学生が「絶対してはいけないと思うこと」として挙げる割合を平成2年と14年とで比較したところ、「学校の建物や公共の物を壊す」などの犯罪行為等については大きな変化はみられないが、「授業をさぼる」や「うそをつく」については10ポイント以上減少しているなど(資4-3-4, 4-3-5)、比較的軽度な逸脱行動に関する規範意識の低下傾向が懸念される結果となっている。
 一方、若者の規範意識について、自分たちが納得して作ったルールは守ろうとする意識が強いという傾向も指摘されている。また、仲間内のルールには敏感で気を遣っており(資4-3-6, 4-3-7)、ルールに従わない者への排除が激しいとの指摘もある。
(社会規範の習得の必要性)
 このようなアンバランスな規範意識の在り様については、その規範に従うべきだと考える仲間集団がそれぞれ独立して形成されており、相互間の意思疎通が希薄で外の社会に関心が向かない(資4-3-8)ために、一般社会の規範を無視した行動が生じているとの見方もできる。このような見方を踏まえれば、自分たちとは異なる価値観への寛容さと多様な価値観をもつ集団が共存する一般社会の規範の習得が必要となってくる。そのためには、仲間集団を超えたより広い社会への参画を通じて、社会の一員としての意識を形成し、仲間以外の者との付き合い方を学び、試行錯誤をしながら一般社会のルールを身につけていく経験が有効である。
(少年犯罪の予防)
 犯罪その他の逸脱行動の発生については複雑な要因が絡み合っており、特定の現象が主たる要因であるかのように安易に結びつけることは避けるべきであるが、その予防に社会規範の習得は重要な課題である。犯罪行為は社会の一員として行ってはならないことであり罰せられること、被害者や関係者を傷つけたり悲しませる行為であることを教えるとともに、罪を犯した者の十分な反省の機会を確保する必要がある。同時に、悪いと知りつつ不適切な行動をとることがないよう、自己の行動をコントロールする能力を高めることが必要である。
 社会規範や行動をコントロールする能力を習得していくためには、既に述べたとおり、社会の多くの人々や集団の中でもまれ、試行錯誤していくことが有効である。あわせて、人間への基本的信頼や愛情、自尊感情を持てるような心理基盤を得られるようにすることが必要であり、乳幼児期や学童期における課題から端を発する課題でもある。また、犯罪の予防のためには、若者の内面に対応するだけでは不十分であり、雇用環境等の改善を図り子どもや若者が将来に対して明るい展望を持てるようにすることが必要である。
(大人に求められる姿勢)
 若者は大人社会の不正に敏感に反応する面もあり、殊に規範を説く大人に対して若者が不信感をもつと、規範そのものまで軽視されるおそれがある。まずは、大人の規範意識の向上が必要であることは論を待たない。
 また、時代を超えて伝えていくべき規範がある一方で、時代が移り変わる中で一部の規範が変化する場合もあり、大人が自分の価値観や経験だけに基づいて、規範を押しつけないよう配慮することが必要である。
 さらに、日々実際に直面する生活場面においては、ある規範が絶対不動のものとして常に固定的に適用されるものではなく、複数の規範のいずれを優先させるかは、その時々の状況判断に依拠せざるを得ない場合も多い。例えば、人の気持ちを決定的に傷つけることを防ぐために真実を直ちに告げることができなかったとしよう。これは、正直を価値とする規範に反する行為ではあるが、「人を傷つけない」という規範が優先された場合である。ただし、このような場面は、子どもや若者の目に大人の身勝手と映ったり、友だちを傷つけないためには違法行為をしても良いと誤解したりする場合があるかもしれない。大人は、そのような状況下での規範選択の意味と理由を説明する姿勢をもつことが重要である。

(3)社会的自立に向けた知識や能力の習得
(学校離れと学力水準拡散の傾向)
 著しい技術革新や産業構造の変動を背景に、より高い教育水準の人材が求められるようになり、就学期間が長期化している。一方、ライフコース(※23)や職業生活が多様化、不安定化し、確かな成長目標を定めにくくなり、若者の社会への関心が低下している。このような中で、若者の学習の状況についてみると、高校生の半数が学校で勉強していることが将来役に立たないと思っていたり(資4-3-9)、勉強する習慣が身についていない高校生が増加しているなど(資4-3-10)、若者に学習の意義が理解されにくくなっており、学校離れ、授業離れが進行しつつある。また、授業が「難しすぎる」「やさしすぎる」という若者の割合がいずれも増加するなど(資4-3-11)、学力水準の拡散もうかがわれ、学力階層の分化を懸念する意見もある。

※23 年齢によって区別された、一生涯を通じてのいくつかの軌道・人生行路、すなわち人生上の出来事についてのタイミング、持続時間、配置及び順序にみられる社会的パターン(社会学者Elder,G.H.,Jr.による定義。参考:斎藤耕二・本田時雄編著「ライフコースの心理学」(金子書房 2001年))

(学校での学習の意義)
 不確実さをもつ現代社会だからこそ、若者が思春期に社会の様々な変化に対応していける知識・能力を習得しておくことが必要である。特に、就職を目指す時期にある者にとっては、流動化する労働市場で自分をいかしていけるような知識・能力の獲得は不可欠であるといえる。
 このため、系統的なカリキュラムに基づいて幅広く知識や能力を得ることができる中学・高校は、日常の時間の多くを過ごして帰属意識をもつ生活の場としてだけでなく、社会的自立に向けて役立つ知識や能力を習得する場として、以前にも増して重要になってきている。
(魅力ある学校づくり)
 これらを踏まえると、知識や能力の習得の場としての中学・高校の役割を改めて重視し、若者が主体的に取り組めるような、興味・関心を喚起する授業を工夫できる学校づくりを進める必要がある。特に、公立中学・高校においては、一部にみられる学力低下不安に対応した魅力ある学校づくりがより一層求められる。学校の雰囲気を変え、学校で得る知識・能力の有用性を若者や教員がもっと自覚できるような機会を得るため、開かれた学校づくりに一層努め、地域の人材や企業等の協力を得ることも有効ではなかろうか。
 あわせて、学校が職業科目に力を入れるべきだとする高校生が大きく増加していることからも(資4-3-12)、進路に応じた職業に役立つ知識・能力の教育を重視することが必要である。また、将来、その時期ごとに必要となる事柄を的確に学び、学習を楽しんでいくことができるよう、自ら学習する力をはぐくむという観点も必要である。
 そのほか、義務教育段階終了後の学習に関しては様々な進路があり得るので、高校等へ進学しなかった者や高校等を中退した者が学び直すことができる場について、多様な選択肢を充実させることも求められる。

(4)性に関し適切に行動を選択できる力の習得
(思春期と性)
 性的な発達は幼児期から始まっているが、特に思春期は、最も大きな心身の変化が現れ、異性への関心が高まり、様々な悩みや葛藤が生じる時期である。このため、自他の心身を傷つけず、豊かな人間関係につながる適切な行動を選択できるよう支援することが重要である。しかし、思春期の若者の性に関しては、親やその他の大人はとまどい心配しながらも、とかく目をそらしてしまいがちであり、大人の適切な支援がないままに若者の性に関する多くの問題が生じている。情報メディアの進展で若者が性的情報に直接さらされるようになり、また、身体的な成熟の時期をより早く迎えるようになっている(資4-3-13)。一方で、進学率の上昇や労働事情等により社会的な成熟の時期が遅くなり、初婚年齢も上昇している(資3-1-17)。このような今日的状況に配慮した支援が必要となっている。
(性の意義と危険性)
 発達過程に応じた様々な段階の性的行動(デートなども含む広い意味で自身の性を意識した行動)は、将来パートナーとの豊かな人間関係を築いたり、自立して新しい家族を形成したりすることも含めて充実した人生を実現し、生命や人間を尊重する人格を形成するために積極的な意義を有するものである。大人には、その観点をやみくもに否定して性をタブー視することのない、寛容な先輩としての態度が求められている。一方で、性の営みは命を誕生させることにつながり、他者との新しい関係と責任を求めるものでもある。また、安易な性行為は若者の人生を大きく左右するほどの影響を心身両面にもたらすものであり、社会的に容認されない。これらについても、先輩として正確に伝えていくことが大人に求められている。
(性に関し適切に行動を選択できる力の習得)
 性行為は、最終的な判断の場に他人が立ち会うことがないという特性をもつことから、相手が望んだ場合であっても自らの意思で明確に断ることもできるよう、性的な対人関係における主体性を強化することが必要である(資4-3-14)。
 また、誤った知識によって相手に望まない性行為を強いたり、性的な不快感を与えることがないよう、異性の性的な心理や生理についての正しい知識を得られるようにし、相互の尊重、いたわりの精神や男女平等の意識に根ざした行動を選択できる力をはぐくむことが重要である。
 判断の未熟な段階での性行為、自らの又は相手の望まない性行為、対価を得たり払ったりする性行為などは、いずれも自他の心身を傷つけたり、長い期間苦しむなど若者の今の不幸や将来への成長の阻害につながる場合もあることから、確実に防いでいけるようにするべきである。言うまでもないが、仮に若者自身が納得して行動する場合であっても、これらの安易な性行為は社会的に容認されない。特に、売買春に代表される性的な逸脱行動については、それが犯罪行為になったり犯罪に巻き込まれたりする危険性が高い行為であることを認識させる必要がある。また、性的な逸脱行動を起こす若者は、男女を問わずその背景に性の問題にとどまらない心理的な葛藤を抱えている場合が多いので、必要に応じて専門家の力も借りつつ多角的に取り組んでいくことが必要である。
 若者の性感染症や人工妊娠中絶の増加に対しては、性感染症の予防や治療、避妊などについて正しい知識を教育することが重要である(資4-3-15,4-3-16)。教育に当たっては、発達段階を踏まえ、先に述べたような安易な性行為を予防するための配慮も必要である。
 性に関することは、身近な人に面と向かって相談をしにくい場合もあるので、若者が多様な方法で相談できるところを増やしていくことも必要である。
(性的情報、性の商品化の規制)
 若者の多くは、マンガ、テレビ、ビデオ、雑誌等のメディアから性的な意識や行動に関する影響を強く受けている(資4-3-17)。メディアを通じて得られる性的情報の中には、大人の性的好奇心や欲望を満たすためのものが含まれており、人権への配慮を欠いているものも少なくない。表現の自由は、日本国憲法で保障された権利であり尊重されるべきであるが、思春期以前の青少年に対する情報提供においては一定の制約があるべきである。
 同時に、著しい情報化の進展の中で、情報提供の制約だけで問題を解決することには限界があるので、あわせて、青少年自身がメディアを通じた情報を主体的に読み解き、適切に活用できるような能力(メディアリテラシー)を身につけられるように支援することが必要である。
 また、性風俗産業の中にもみられる、人間の性を消費の対象として扱う社会風潮、思春期の若者との性行為さらには売買春を容認し欲求するような大人の側の意識・行動にも大きな問題があり(資4-3-18)、それが若者の性的な逸脱行動を誘発していることを十分認識するべきである。性的好奇心や欲望を満たすための各種の製品やサービスについて、営業の自由を過度に制約しない配慮をしつつ、思春期以前の青少年を対象としたり利用したりすることを規制することが必要である。特に、若者の性的な逸脱をいさめ被害から守るべき大人が思春期の若者を買春する行為に対しては、一層厳重な取締りが求められる。

4 青年期
 青年期は、若者が親の保護から抜け出し、社会の一員として自立した生活を営み、さらには公共へ参画し、貢献する、大人への最終的な移行を遂げる時期である。学校の卒業と同時に就職し、数年したら結婚するという移行のためのライフコースが自明のものではなくなった今日において、この時期に課題となるのは、次の三つである。
(1)職業的自立
(職業意識と定着率)
 しつけの不十分さ(言葉遣いや礼儀を知らないなど)、学力の低さ、職業意識、定着率の低さなどから、新規学卒者の職業人としての質の低下を指摘する声がある(資4-4-1)。
 職業意識については、「やりたいことが見つからなければ、無理に就職することはない」と考えている若者が2割程度いることは確かであるが、一方で、それを上回る若者が「学校を卒業したら、できるだけ早く就職して、親から経済的に自立すべきだ」と考えており、過半数の若者は「やりがいのある仕事についてがんばるのは人間にとって大事なことだ」と考えている(資4-4-2)。卒業又は中退後すぐには正社員にならなかった理由をみても、「正社員としての仕事につく気がなかった」を挙げる者の割合はむしろ減少して1 割強であり、「就職口がなかった」を挙げる者の割合が増える傾向にある(資4-4-3)。転職希望者に占める正規職員を希望する割合も、この20年ほどの間むしろ高まっている(資4-4-4)。
 定着率の低さについては、3年以内に離職する率が学歴の低いほど高いという調査がある(資3-3-11)。また、学校卒業の前年、つまり就職活動時に失業率が高いほど転職傾向が高く(資4-4-5)、この傾向は特に高学歴の女性に強くうかがわれるという分析がある(資4-4-6)。近年の転職率の高さは、就職状況が厳しいと自分に合った仕事に就きにくいため転職を繰り返さざるを得ないことが背景にあると考えられ、一概に若者の忍耐力が低下したせいだとはいい難い面もある。
 また、転職には、より自分に合った仕事に就いたり、キャリアアップするためなど肯定的にとらえるべきものもある。しかし、短期間で転職を繰り返すことは職業能力の向上にとってマイナスに働く可能性が高い。
 職業意識、定着率の低さには、雇用慣行の変化も影響しているのではないだろうか。年功序列、長期雇用の時代であれば、特に男性なら若いうちは大変でも仕事に慣れ経験を積めばいずれその苦労が報いられると信じられた。しかし、今日、例えば、職場を不本意ながら去る中高年齢の大人たちの姿などを見て、若者たちが仕事はそこそこで良いと考えたり、早めに見切りをつけて転職する気になったりするという面もあるのではなかろうか。
(フリーター経験と職業能力)
 しかし、フリーター経験については、その後の就職時にこれをマイナスに評価する企業が3割で、プラスの評価はほとんどない(資3-3-14)。また、フリーター経験者はそうでない者より賃金が低くなる傾向があるなど(資3-3-15)、フリーター経験者はその後も労働市場で不利な立場に置かれることが多い。というのも、マニュアルどおりの作業が多いパート・アルバイトでは職業能力は開発されにくく、専門学校等での職業教育だけでも十分ではない。やはり実際に職に就いて訓練を受けること(OJT)が職業能力を高める上では重要である。年齢が高くなるほど採用に当たって企業に即戦力を求められるため、若いうちにOJTの機会を逸するとその後の再就職が困難になりやすい。
(学歴と就業状況)
 就業状況は大学卒よりも高校卒に厳しく(資4-4-7)、特に地方の高校卒の採用状況は厳しい(資3-3-3)。競争激化の中で、企業が単純労働は非正規労働者にゆだねる傾向が強まり、安定した雇用は高学歴層中心となりつつある。この傾向は特に女性に著しく、昭和57年から平成9年の15年間で、高卒の男性ではフリーター率が5ポイント上昇して7%だが、女性では14 ポイント上昇して20%に達している(資4-4-8)。女性の場合はいずれ結婚して家庭に入ることを想定してそもそも正社員を志向しないからではないかという考え方もあるが、フリーターの正社員志向に男女差はほとんどみられない(資4-4-9)。
 学歴による就業格差、それによる所得格差の拡大が懸念されるが、この傾向は米国など欧米諸国にもみられる(資3-3-16)。
 なお、大学生であっても、アルバイトに多くの時間を費やすなど学業を疎かにしては、教養や専門能力も身につかず、職業的自立にはつながりにくいと考えられる。
(職業選択の指導)
 格差拡大を防止するためにも、卒業時点での就職支援と、いったん無業や不安定雇用になった者の安定的就業への支援が求められる。
 高校卒で正社員になった者のうち学校による職業指導が役に立った者の割合は高まる傾向にあり、逆に高校卒で正社員になった者のうち学校による職業指導が役に立たなかった者の割合は大きく低下し、その分正社員にならなかった割合が高まっている(資4-4-10)。企業等を経験しているキャリア・コンサルタント(※24)を導入するなど、学校による職業指導の充実が必要である。
 その際、高校卒業後、漫然と進学するのではなく、いったん職業に就いた後、学ぶ必要と意欲を感じたときに改めて大学で学ぶという選択肢も視野に入れた進路指導が望まれる。あわせて、そのような人生設計をより現実的にするための、奨学金の充実などを含めた総合的な社会支援が必要である。
 さらに、卒業や中退により学校を離れた若者などに対して、学校にとどまらない様々な場での職業意識、職業能力向上のための支援と職業選択の指導助言を充実させることも必要とされている。
 多様な職業や働き方、キャリアコースについて、具体的な事例を集め、情報提供していくことも、若者の職業意識を高める上で望まれる。

※24 労働者が、その適性や職業経験等に応じて自ら職業生活設計を行い、これに即した職業選択や職業訓練の受講等の職業能力開発等を効果的に行うことができるよう、労働者の希望に応じて実施される相談を担う人材。

(起業の支援)
 労働市場への参入、適応に苦労する若者がいる一方で、新しいタイプの就業観をもつ若者も出てきている。学生時代から企業と協力してプロジェクトを立ち上げたり、やりたいことを実現するためにビジネスに限らず社会的起業をしたりする若者である。このような若者の支援のためには、単なる資金援助の仕組みだけでなく、やりたいことをどう形にしていくかについて相談に乗り、情報交換をし、刺激し合い、場合によっては協働できるような環境整備が必要である。
 これからの社会では、高学歴であっても、入社以来のコースをただ漫然と過ごすだけでは、職業生活におけるリスクが高くなりつつある。起業に最も適している年齢は40歳前後という意見もあり、それまでの職業生活で起業に必要な能力や経験を蓄積していくことが必要である。青少年が、起業という選択肢も含めて将来の職業人生に見通しを持てるように、こうした情報提供を行うことも重要ではないだろうか。

(2)親からの自立
(親への依存を生む社会経済構造)
学校卒業後も親元に同居し、経済的援助や家事援助を受け、基礎的生活条件を親に依存している未婚の若者が増加しているといわれている(資4-4-11, 4-4-12)。背景には、フリーターなどの若者の低所得と、正規職員の若者の長時間労働という問題などがある。低所得の若者は親元を離れて自立した生活をするだけの経済力に乏しく、一方、正規職員の若者は自立した生活に必要な家事をするだけの時間的余裕がない。
 親元に同居し、基礎的な生活費の多くを親に依存していれば、賃金がさほど高くなくても、その多くを小遣いに充てることができ高い消費水準を享受できる。社会の中での地位は、職業人としては高くないが消費者としては高い。しかし、親から自立すると生活のゆとりが大幅に下がり消費者としての地位も下落する。このため、自立をためらい依存が長期化し、未婚率の上昇にもつながっているといわれている。
(社会的ひきこもり)
 また、社会的ひきこもり(明確な精神疾患や障害をもっていないにもかかわらず、ひきこもりを続けている状態)にある若者が増加しているといわれている。正確な数はわからないが、新規発生が続く一方で脱け出ることが難しいため、結果として数が増加していると考えられる。不登校がきっかけで長期化している者が多いが、逆に不登校児の中でひきこもりになる者はさほど多くない。ひきこもりは男性が7〜8割と多く、長男が多いという傾向が指摘されている。また、海外に似たような症例がないわけではないが、そのような者は多くがヤングホームレスになっているといわれている。子が30代、40代になっても親が養い続け、そのような家族関係が葛藤の原因となっている状況に日本的特異性があると考えられる(※25)。

※25 斎藤環「社会的ひきこもり−終わらない思春期−」(PHP新書 1998年)

(親との同居と日本の伝統)
 南欧以外の欧米諸国に比べると日本の青少年の親との同居率は高いが(資4-4-13)、成人した子が親と同居する家族の在り方は日本の伝統であり、親子が共に望んでいるのだから問題視すべきではないという考え方もある。しかし、成人した子が基礎的生活条件を親に依存し、自分の労働の成果の多くを小遣いに充てるという形での親子同居は高度成長期以前には一般にはみられなかったのではないだろうか。高度成長期以前は、多くの家庭は成人した子を経済的に援助するほど豊かではなく、むしろ子は一刻も早く自立して親の負担を軽くするばかりか逆にその稼ぎで残る家族の面倒をみることが期待されていた。また、サラリーマン化が進む以前の農家や商店では母親も忙しく立ち働いており、同居している子は外で働いていても家事や家業を手伝うことが普通ではなかっただろうか。
(親からの自立の支援)
 親への依存が長期化しないようにするには、アメリカなどのように、高校卒業時点で親から自立する意識と慣習の形成が必要ではないだろうか(資4-4-14)。大学生について、生活費や学費を親が負担しているために若者自身に大学教育のコスト意識が低いことが学業を疎かにすることにつながっているとの見方もある。仮に家族の在り方は個々の家族が決めることだとしても、少なくとも若者の自立を困難にしている条件の改善を図り、自立を支援することは必要だと考えられる(資4-4-15)。そのためには、(1)で述べたような職業的自立の支援のほかに、親の経済力に頼らなくても大学教育を受けられる仕組みや、親とは別に居住できるようにするための支援が求められている。
 また、親への依存の病的な形ともいえる社会的ひきこもりに対しては、これらの支援策とは別に、家族関係や社会関係の調整など特別な支援が必要である。
 さらに、若年者と中高年齢者の所得格差が拡大する中で、親から独立して新しい家族を形成した若者の多くは特に厳しい経済状況にあると考えられる。若い子育て世帯向けの経済的支援の充実が必要である。

(3)公共への参画
(公共への参画の必要性)
 青少年は、市場への消費者としての参画だけが極めて早い時期から行われている。「一人前の大人」として社会的に自立するには、消費者としてだけでなく職業人として市場へ参画し、さらには公的部門、非営利部門などの公共へ主体的に参画することも求められている。国家や地域社会から社会保障その他の諸サービスを受けるだけでなく、納税や投票、寄付やボランティアなどの形で費用と手間を負担し、相互支援の責任を果たすことも「一人前の大人」としては必要である。
(公共への関心の在り方の変化)
 若者の意識が公より私へ、それも極めて狭い身の回りに閉じているのではないかという指摘がなされている。今の自分の人間関係には高い割合で満足しているが、日本の政治の在り方や社会体制には不満が多い(資4-4-16)。それが政治への関心に向かうかというとそうではなく、日本では18〜24歳の若者の約6割が関心がないと答えている(資4-4-17)。選挙の投票率も低く、平成12年の衆議院総選挙では、全体の投票率は62%だが、20代後半では41%、20代前半では36%であり、若者の投票率は極めて低い(資4-4-18)。投票率はこの10年間で全体でも低下傾向にあるが、若者ではこの傾向が特に顕著で、20代後半で22ポイント、20代前半で17ポイントの低下となっている。
 また、「社会のためにつくしたい」と考える若者は1 割に満たず(資4-4-19)、地域で募金・献血に参加したことがある若者の割合も減少している(資4-4-20)。
 このような点にみられる公共や政治に対する関心の低下はイギリスやスウェーデンなどでも共通した問題となっている。若者が公共への参画の有効な手立てを見いだせず、参画しても変えられないとの無力感にとらわれているからではなかろうか(資4-4-21)。日本の高校生の9割は政治に「国民の意見が反映されていない」と思い、8割が「誰に投票しても変わらない」と思っている(資4-4-22)。
 一方、阪神淡路大震災以来、ボランティア活動に携わる若者は増加している(資3-4-14)。また、青年海外協力隊など国際社会への貢献に積極的に取り組む若者や、新しい形でボランティアとして選挙活動を支援する若者も一部にはみられる。
 公共への関心そのものが低下したというよりも、投票などの従来型の参画から、より直接的な参画に関心の在り方が変化したとみることもできる。
(公共への参画の支援)
 しかし、従来型の参画も含めて、公共への関心をおろそかにすることが自分の将来の生活基盤を危うくすることにもつながりかねない。そのことを、思春期以前のシティズンシップ教育で、社会保障や税制など身近な例を基に分かりやすく情報提供したり、また、生徒会活動などを通じ、民主主義的な参加能力を高めることが望まれる。
 青年期においては、NPOや政治の場でのインターンシップ、インターネットを通じた活動など若者が多様なルートで公共に参画できるような環境整備が求められる。公募制の活用などにより、有識者や既存諸団体の代表としては参画しにくい若者の意見が政策形成過程に反映されるような工夫も求められる。さらに、個人として自立できていないことが自分の身の回りから意識が広がらないことの大きな要因の一つとなっていると考えられる。このため、(1)(2)で述べたように職業的自立や親からの自立を併せて支援することが必要である。
 また、若者の公共への関心を高め自立を促すためには、欧米諸国のように法的成人年齢を20歳から18歳に引き下げることを検討するのも一案である。しかし、一方で社会的に自立する年齢の遅れは社会構造の変化等によるものであり法的成人年齢の引下げが適切かどうか疑問視する声もあるので、多角的な国民的議論を行うことが適切である。

X 基本的な対応の方向
 ここまで、青少年の「今の充実」と「将来の一人前の大人への成長」の支援という観点から、今日の状況下で年齢期ごとに抱える課題を明らかにしてきた。このような課題への対応に当たっては、保健、福祉、教育、労働、まちづくり、非行対策などの各分野で連携しつつ様々な取組が行われる必要があるが、各年齢期を通じてみると、今までの対応に加えて新たに求められる基本的な対応の方向として次の五つが浮かび上がってくる。なお、これらの対応は、政府のみならず、社会の大人すべてによって取り組まれるべきことである。
1 青少年観の転換
(従来の青少年観)
 大人になることが以前よりも個としての自立を求められる時代になったにもかかわらず、青少年の育成方策はそれを踏まえた転換が十分になされていない。今日の青少年観とりわけ児童観の基本となったのは、昭和26年に制定された児童憲章であるが、そこでは、児童は「守られ」、「与えられ」、「導かれる」存在とされている。背景には、第二次世界大戦直後の荒廃した社会環境がある。少なからぬ青少年が十分な保護、教育を受けることなく自分の稼ぎで生活せざるを得ない状況に追いやられ、「浮浪児」、児童の人身売買事件、年少労働者の劣悪な条件下の労働、貧困からの不就学、少年犯罪などの問題が生じていた。
 このような児童の劣悪な育成環境が改善されるにつれて、非行対策、環境浄化、国民運動といった今日の育成方策の基礎が整備されてきた。さらに、深刻ないじめや児童虐待などの新たな課題の発生に伴い、その都度、青少年の保護、教育という視点からの方策が充実されてきている。
(青少年観の転換が必要)
 しかし、今日、社会経済状況は大きく変化し、保護、教育の期間としての青少年期の延伸がむしろ問題となってきている。「一人前の大人」の意味、大人への移行の仕方が従来と変わり、青年期の課題として、自らのライフコースを選択し、その責任を引き受け、さらに他者との間で相互支援を担えるだけの「社会的自立」を達成することが大きく浮上してきた。そのためには、思春期以前から、社会的自立につながるような育成、つまり「守られ」、「与えられ」、「導かれる」だけでなく、自分の意見を持ち、自己を表現し、他者を理解し、他者に働きかけ、家庭や社会のために自ら行動する、青少年の能動性を尊重し促進することが求められている。
 今までの育成方策の前提とされがちであった、児童憲章に代表される受動的な青少年観をより積極的、能動的なものへと転換し、青少年の健全育成をとらえなおして新たな意味づけを行い、施策や取組を再構築することが必要である。従来から進められてきた国民運動などの取組もまた、そのような時代の要請に対応した展開が求められる。
 新しい児童観を明確にしたものとして国際的には「児童の権利に関する条約」があり、日本も平成6年に批准している。今日、児童の育成についての基本理念を定めるものとして、この条約が引用されることも多いが、国民の間に十分浸透しているとはいい難い。また、例えば、児童の意見表明権の保障が児童の言うことをすべてそのまま受け入れることであるかのような誤解もないわけではない。児童の権利に関する条約の理念を再認識しつつ、能動性も併せもつ新しい青少年観や今日的な育成課題についての意識啓発を積極的に進めることが求められる。そのための方途として、例えば新しい児童観に基づく新たな児童憲章の制定を検討することも考えられる。

2 社会的自立の支援
(大人になることの意味が変化)
 従来、青年期の青少年については育成上の課題の重要性についての認識は低く、対策も限定的であった。というのも、高度成長期及びそれに引き続くバブル期までは、学校から雇用への移行が比較的円滑であったからである。この時期、男性は就職により企業に帰属し、経済的自立を達成することが、女性はそのような男性と結婚して家庭責任を果たすことが、大人への移行の明確な指標となると考えられていた。しかし、今日、若者の就労の不安定化、未婚率の上昇はそのような指標をあいまいにし、大人への移行を遅れさせている。
(移行の困難性)
 青年期の延伸、大人への移行の遅れは、先進国に共通した課題といわれている。
 卒業、就職、結婚、子育てというライフコース、男は仕事、女は家庭という明確な性別役割分業に基づくライフスタイルが単一で自明のものとは考えられなくなり、多様化する中で、選択は個人に任されるようになった。そして、社会保障などのセーフティネットはあるものの、選択結果の責任は一義的には個人に委ねられる。大人になるということは、今日では既存のライフコースにのることではなく、自己選択、自己責任を担う主体となることである。
 しかし、全員に同じ選択肢が与えられているわけではない。世界的な経済競争の進展によって単純労働市場の多くが発展途上国へ移転し、成長が期待される新規産業分野では創造的能力、専門的能力が重視されるため、教育期間が一般に長期化している。その結果、高度な教育を受けていない若者は安定した職を得にくいという実態も生まれてきた。専門職や管理職などに就く子の父親には高学歴者が多く(資5-2-1)、また、そのような職は父親から子への継承性が高いとの調査がある(資5-2-2)。さらに、父親が専門職や管理職であるかどうかによって子の収入に格差が生じているとの調査もある(資5-2-3)。今後、格差が拡大し、さらに親から子にその格差が引き継がれて固定化していくことを懸念する意見も強い。
 経済的に自立できない若者は、日本では多くの場合、未婚のまま親に依存し続けている。今日、子の数の減少により、同居させて食事を提供することはさほど高い経済状況にない親でも可能となっている。子の自立をホンネでは積極的に望んでいない、精神的に子離れのできていない親もいるとの指摘もある。しかし、親からの自立の遅れは、意識が身の回りから広がらず公共への参画意識が高まらない要因にもなり、大人への移行を一層困難にしている。
(青年期の包括的自立支援方策の確立)
 Wで挙げた、社会的自立を達成するための青年期の三つの課題は相互に関連しており、職業的自立が親からの自立を容易にし、逆に親からの自立が職業的自立への意欲を高め、それらがあいまって、現実的な責任感に裏打ちされバランスのとれた公共への関心と参画意識を高める。そのような若者の意欲を現実化し、社会的自立を促進するためには、人生設計、教育、職業選択、職業訓練、生活保障などが総合的に行われることが必要であり、個々の支援方策を充実させるだけでなく、その調整と総合化とが求められている。
 大人への移行の遅れは職業的自立を果たした若者にもみられる現象ではあるが、移行がより困難なのはやはり安定就労が難しい層の若者であり、この観点からは、特に教育施策と雇用施策の連携の強化が重要である。例えば、年齢期ごとの課題でも述べた、学校へのキャリア・コンサルタントの導入、企業と学校との連携協力によるインターンシップ、より直接的に職業に役立つ教育などが考えられる。アメリカにおけるコミュニティカレッジ(※26)や、現代版徒弟制ともいえるドイツのデュアルシステム(※27)なども参考になろう(資5-2-4)。

※26 地域住民の教育機会均等、地域産業に貢献する人材育成を目指して設立された公立の大学。必要に応じて修業年数や取得単位数を決めることが可能。地方政府、地域企業、大学等の教育機関との密接な連携の下に成果重視のプログラムを提供している。
※27 現場、企業又は訓練所での実地訓練と職業学校での理論学習を並行して行うもの。職業訓練に際しては訓練者と訓練生の間に書面による職業訓練契約が結ばれる。職業訓練を終了すると工業系職種では専門作業員試験、手工業職種では職人試験を受け、合格するとそれぞれ専門作業員証書若しくは職人証書を取得できる。

 コミュニティカレッジについては、自治体と企業が協力して職業教育を行うという点が、またデュアルシステムについては、OJTと学校教育の組み合わせによる職業教育を行うという点が特に参考になると考えられる。
 既に、ドイツ、スウェーデン、ニュージーランドなどの国々では包括的な若者の自立支援方策が推進されてきている。また、総合化の試みとして、例えば、イギリスにおいては、コネクションズ(※28)と呼ばれる支援のための総合相談サービスが地域において始められ、全国展開が計画されている。我が国においてもこのような相談機関の充実と連携の強化が求められる。
 政府において、従来少なかった青年期の社会的自立促進のための具体的方策を早急に検討し、包括的自立支援方策を確立することが求められる。

※28 13〜19歳を対象とした支援策。該当年齢のすべての者は、担当の相談員から学校及び職場生活、また、個人や家庭生活に関するあらゆる情報、アドバイス、支援を受けることができる。

(若者の相互支援の促進)
 青年期の社会的自立を促進するに当たって忘れてはならないことは、現在の青少年は少子化世代であるということである。世代としての人口規模が大きかった先行世代は新しく大人として既存社会に参入するに当たっても、集団としての力で既存の社会自体を変化させる面も大きかった。しかし、これから新しく大人になっていく青少年世代は人口規模が小さく、世代集団としての力はさほど大きくない。既存社会への適応に当たっても、従来と異なる一人一人の個人としての技能が以前より必要になるのではないだろうか。とすれば、年齢の離れた先行世代よりも、同一世代内での相互支援や年齢の近い先行世代による支援などがより有効な場合が多いと考えられる。相談機関などに若い世代を相談者として置くなど、若者同士の相互支援を促進する方策が必要である。
(乳幼児期からの連続性ある社会的自立の促進)
 社会的自立の最も基礎をなすのは、他者を自分とは異なる、しかし自分と同じく尊重すべき人間として認識し共感する能力であるが、その習得は、乳幼児期における「地域での子育て支援」により多様な人々から行動や態度を学びとることに始まり、学童期における「他者の認識と自己の形成」の課題の達成で実現される。他者と共生できる主体的な自己の形成の上に、思春期における「社会の中での自分探し」「社会的自立に向けた知識や能力の習得」などが行われてはじめて社会的自立へとつながっていく。この意味で、青少年の社会的自立を促進する課題は、年齢期が上がるほどより具体的で、より複雑になっていくものの、青年期のみならずすべての年齢期を通じて含まれているものであり、これらに対応する支援方策を充実することが求められる。具体的には、学校教育における発表や討論、対話方式の授業などによるコミュニケーション能力の育成、地域の青少年団体活動やボランティア活動への参加、冒険遊び場(資5-2-5)などでの創造的な遊び、多様な職業人との交流・学習などの機会の提供が考えられる。
(社会的自立促進のための環境整備)
 青少年の社会的自立を促進するためには、集団遊び、就業体験やボランティア、事業への参画を通じた民主主義的参加の訓練、将来の職業や生活の現実的なモデルの獲得など、社会性をはぐくむ様々な経験ができる場として、地域社会が不可欠である。しかし、Vでみたように今日、地域が社会として成立しにくくなっており、その再構築が求められている。
 このためには、人口減少という新たな動向を踏まえて、都市計画や、農山漁村整備政策においても、地域社会意識を醸成しやすい空間の整備改善に取り組むべきである。例えば、都市においては、まちの背骨となる中央通りや中心市街地を人々の社会生活の場として再生・創出することが挙げられる。高層住宅にはこのような意識が形成されにくいので、意識的に住民の交流が生まれやすい場を設計することが必要という意見もある。
 また、地域社会形成のための活動や、地域社会の運営に青少年の参加を促していくことも、公共への関心と参画意識を高める上で有効である。
 なお、現在、市町村合併が進められているが、一定規模が必要とされる行政単位としての市町村とは別に、合併前の市町村がもっていた地域社会性が合併によって消滅してしまうことがないよう、工夫が求められる。

3 特に困難を抱える青少年の支援
(社会の変容と格差)
 高度成長の時代には、経済規模も労働市場も大きく拡大し、社会基盤が次々と整備され、努力すれば誰でも十分な社会的地位を得ることが可能だと考えられていた。しかし、成熟経済の下で、成長による格差の縮小は期待できなくなった。同時に、産業構造の転換や技術革新の進展を反映して職業に就くために求められる知識・技能が高くなってきた。また、地域社会などにおいて、人々のかかわり方が変化し、個人や家庭の独自性や自律性がより尊重されるようになった一方で、自然に行われていた支援の機能は徐々に失われてきた。
 このような社会の変容の下で、一度環境や条件の面で不利な立場に置かれた者は自身の努力で困難を克服することが一層難しくなり、それが人生の選択肢を限定し、格差が固定化し拡大していくことが懸念される状況になってきた。
 このような懸念は、成熟経済への移行が日本より先行した欧米諸国では既に1980年代から強まり、格差の固定化や差別による社会からの排除の解消を目指したソーシャルインクルージョン(※29)が大きな社会的課題となっている。このため、教育、就労支援を始めとする諸施策が様々に実施されている。我が国においても、問題状況がより深刻になる前に必要な取組を行っていくことが求められる。

※29 貧困者や失業者、ホームレス等社会から排除されている人々の社会的参入

(社会的不適応を起こしやすい状況)
 社会的不適応を起こす青少年には、自分はこの社会から排除されているという疎外感をもっている者が多い。疎外感は、低い学業成績や学歴、家庭の経済力の弱さ、親や本人の不安定な就業、家族の愛情の欠如や極度の情緒的不安定、相談にのってくれる大人の欠如、サポートやケアの受けられなかった被害体験などが重なったときに生じやすい。
 実際、非行化の進んだ少年を統計的にみると、低学歴であったり(資5-3-1)、無職や不安定就労の状況にある者が多い(資5-3-2)。また、虐待や性犯罪の被害者が少なくない(資5-3-3)。家庭環境としては、貧困家庭、一人親家庭、非血縁親子家庭や親がアルコール依存の家庭などが多い(資5-3-4, 5-3-5)。人口の数%いるといわれるLD(学習障害)(※30)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)(※31)の子どもや若者については、適切な支援がないと自己評価が低くなり、不適応につながるとの海外の研究は多く、非行少年の中にはそのような障害をもっていることが疑われる若者が多いという専門家は少なくない。また、そのような障害をもっていると、うつ状態やアルコール等の依存症に陥るなどの不適応にもつながりやすいと指摘されている。
 もちろん、誤解があってはならないのは、これらの状況にある青少年でもその大半は健全に成長しているということである。むしろ逆境をばねにして現在の日本社会を指導する大人に成長した人たちも少なくない。また逆に、いわゆる「普通の家庭」の「普通の子どもや若者」が引き起こす不適応もある。
 しかし、現実を直視すれば、青少年が社会的不適応を起こしやすい一定の状況がある。そして、同じ状況にあっても大半の青少年は適応しているという事実は、これらの状況が不適応につながりにくくすることが可能だということを示している。「少年院に入って初めて自分に真剣に向き合ってくれる大人に出会ったという少年も少なくない」、「もっと早くに介入していればここまでの不適応に至らずに済んだのに」という少年院関係者の声もある。

※30 知的には著しい遅れがみられないが、読み・書き・算数などにおいて年齢相応の教育の到達水準に比べて著しく低い状況にある場合をいう。この場合、学業のみでなく日常の活動にも支障を来すので、それぞれの子どもの障害のレベルに合った学業や生活の指導と支援が必要とされる。
※31 多動と衝動性と不注意を主な症状とする子どもの行動上の問題。原因は大脳の微細な機能の障害と推定されている。通常、ADHDの子どもは、就学前の幼少時期にはまず多動が目立つ。一時もじっとしていられなかったり、座っていることを要求されてもしばしば手足を動かすことなどが多くみられる。小学校高学年になると多動は自然に治まることもあるが、衝動性、例えば順番を友達と待つことができず自分の欲求どおりに行動したり、集団の会話や活動を妨害することなどが問題となる。不注意は更に続くことがある。薬物療法が一部の子どもには効果がある。学校や家庭での生活の支援を通じて、子どもの自己評価をADHDゆえにいたずらに下げないようにすることが最も大切なことである。

(特に困難を抱える青少年への支援)
 スタートラインにおいて既に不利な状況に置かれ、特に困難を抱えた青少年への特別な支援が必要である。それは、青少年自身のためだけでなく、社会の一体感や連帯意識の維持、活力ある未来社会のためでもある。
 青少年の困難を軽減するためには、青少年本人やその家庭に対する周囲の人々の理解と支援、医療や福祉、教育の専門家による適切な助言、社会保障給付による低所得、一人親家庭への支援など事例に応じて様々な対応が必要とされる。
 これらに携わる人材に関しては、少子化の影響で需要が減少していると誤解されたり、困難を抱える青少年の状況について率直に語られにくかったために必要性について理解が広がらなかったり、地域社会の変化などで壮年世代のボランティアとしての参加が得られにくくなったりするなど、量的にも質的にも十分な状況とはいい難い。青少年の育成にかかわる人材の養成、確保方策の推進が望まれる。特に、青少年の育成にとっての家庭の持つ重要性にかんがみ、様々な事情で実親による養護を受けることが困難又は不可能な青少年に家庭での養護を行う里親や養親の重要性は再認識される必要があり、一層の支援が望まれる。
(教育を通じた職業への展望)
 支援策の中でも、特に将来への希望をひらくのは教育を通じた職業への展望である。中学卒や高校中退の青少年の就職状況は厳しく、望ましい人生に向けた目標を見いだせなかったり、十分な情報に接することができず労働関係法規に反した扱いを受けたりする可能性も高い。彼らは、生活に追われる親や我が子への十分な配慮を欠く親など、支援を得にくい家庭環境にあることも多い。しかも、彼らを雇い、いわば親代わりになって職業人としても生活者としても一人前になるまで仕込んでくれるような職場は、社会経済構造の変化の下で減少しつつある。
 年齢期ごとの課題でも述べたように、義務教育の間に、基礎的学力の重要性、学習の意義を理解させ、興味・関心を喚起する授業を工夫し、少人数学級化・教職員配置の一層の充実などにより一人一人の個性や能力をできる限り伸ばす努力が求められる。同時にその間に、社会を生きていく上で身を守るために最低限必要な労働関係法規や社会保障制度などの法的知識を提供することも必要である。さらに、いったん学校を離れた後の相談機関や再教育、職業訓練の機会の充実と周知が求められる。
 また、心身に障害のある青少年は、就職が厳しく、職業的自立に困難を抱えている。親から自立して地域で生活するにも、公共へ参画するにも様々な困難がある。労働関係法規に反した扱いを受けたり、障害につけこんだ犯罪被害に遭う可能性も否定できない。障害のある青少年の自立支援については教育も含め様々な施策が制度化されてきているが、ノーマライゼーションの観点からなお一層の充実が求められる。
(支援には慎重な配慮が必要)
 特に困難を抱える青少年には特別の支援が求められるが、一方で特別の支援がラベルをはることになり、差別につながりやすいという事実もある。また、不適応を起こす前の段階での介入が、差別されたという意識、疎外感を強め、かえって不適応を助長する可能性や、場合によっては家族のプライバシーや個人の自由の侵害につながる可能性も否定できない。
 したがって、特に困難を抱える青少年への支援に当たっては、個人や個々の家族への否定的なラベルばりにならないよう配慮が必要である。そのためには、まず、低所得や一人親家庭への雇用支援や社会保障給付、単純労働市場の労働者保護など、社会のセーフティネットをきちんと機能させるような、一般的な制度レベルでの支援が優先されるべきである。個人や個々の家庭に直接の支援を行う場合も、その処遇が差別感を生んだり、特に公的な支援が過度な介入になったりしないよう配慮しつつ、できるだけ一般集団の中で個別に支援することが求められる。また、個別の支援が必要な場合には、単に本人の心理面や親の育成態度などに問題を限定することなく、環境改善や社会関係の調整などに、より重点を置くことが有効である。
 社会全体において、個々の青少年の抱える困難な状況を冷静に正しく認識すると同時に、個人の違いを認識することがその青少年への偏見や差別につながることのないような、成熟した意識の形成が求められる。

4 率直に語り合える社会風土の醸成
(タテマエとホンネの乖離)
 青少年の育成をめぐる言説としては、しばしば、「のびのび」「自然」「ゆったり」(が良い)、「成績や出世より人間らしさ」などが否定できないタテマエとして語られる。しかし一方では、自分の子への対応で、進学や就職に有利な学校選択や受験のための塾通いを当然とする考え方も強い。青少年の育成に関しては、このようなタテマエとホンネの乖離が他の分野にも増して顕著にみられる。
 「受験エリート批判、ゆとり教育賛美」から「学力低下懸念」への世論の振り子の大きな揺れは、このような青少年をめぐるタテマエとホンネの乖離の中で、ホンネがタテマエを凌駕して表層に噴出したという一面もあるのではないだろうか。
(個性の多様性)
 また、タテマエとホンネの乖離の中で、従来、青少年の育成をめぐる公的な場での議論はともすれば理念論に終始しがちであった。例えば、「子どもの平等性」という理念のみが強調され、個々の青少年の多様な実態が軽視された結果、個性が尊重されない画一的扱いにつながることもあった。望ましい理念の実現を目指すためには、青少年が置かれた実態を十分わきまえることが必要である。育成に当たっては、個々の青少年一人一人の実態に即してそれぞれの個性に十分に配慮したかかわりが求められる。その個性に応じて異なる機会をそれぞれに与えるという意味で等しい扱いをすることが、「子どもの平等性」という理念の真の実現につながるものと考えられる。
(環境・条件の差)
 青少年の育成をめぐる理念にはまた「すべての子どもには無限の可能性がある」「誰でも努力すれば報われる」といったものもある。しかし、すべての子どもに無限の可能性があるとしても、現実には可能性を引き出しやすい子どもと引き出しにくい子どもがいる。どんな環境でも努力している青少年がいることも事実だが、努力に向かいにくい環境や、せっかくの努力が報われにくい環境に置かれた者がいることも確かである。
 しかし、このような子どもの差、家庭環境などの差を認めることが差別につながるとの考え方が広がり、公的な場での議論を避ける傾向が特に強まってきた。確かに、安易に差を認めることは、差別感を生み出す懸念がある。
 一方で、こうした個々の青少年の条件や環境の差が軽視されると、問題の本質を見失い、親や教員あるいは本人にすべての責任を押しつけてしまう乱暴な議論になりかねない。例えば、「本来すべての子どもから無限の可能性が引き出せるはずなのに引き出せない。これはすなわち親や学校のせいである」「努力をすれば誰でも報われるはずなのに、報われない。これは本人の努力が足りないせい」といった論調である。
 実際には、子どもが味わっている困難の多くは、子ども自身の力ではなかなか克服しがたいものが多い。努力の有無は本人の心掛けだけに左右されるものではないし、努力が報われる仕組みが十分に用意されていないことも多い。青少年の失望や諦念ばかりを招かないよう、恵まれた環境や条件が備わっていない子どもに対しては、特別の働きかけをする必要性があることを理解すべきである。
(実態に即して率直に語り合える社会風土の醸成)
 今必要なのは、青少年の多様性や、環境、条件に恵まれないために可能性を引き出しにくい状況にある青少年がいる現実を直視することであろう。青少年の現状について、理念論に終始するのではなく、実態に即して率直に語り合える社会風土を醸成することが求められる。
 そのためには、個人の身近な青少年に対する印象論のみでなく、客観的で広範な事実に即した議論が可能となるよう、的確な事実認識を共有していくことが必要である。行政、研究機関、メディア等において、調査研究を推進し、統計データや調査結果の公表と蓄積、正確な情報提供に努めることが求められる。この観点から、特に、政府において行われる様々な調査結果は、プライバシーの侵害にならない範囲で、青少年の意識や実態を知るために必要な再集計、再分析が可能なように広く公開することが望まれる。

5 施策の総合的な推進
(分野を超えた施策推進の必要性)
 従来、青少年の育成は、乳幼児期は保健、福祉、学童期・思春期は教育、青年期は労働施策が中心というように、年齢段階によって中心となる施策分野が分かれていた。また、一般の青少年の育成施策と非行対策とが分かれ、非行対策は補導・捜査、保護・矯正などの施策分野が中心となっていた。しかし、社会経済の変化により、各分野を超えて総合的に調整を行い、対応を進めるべき課題が増加している。例えば、働く母親の増加と少子化に伴い、福祉と教育の連携強化が求められている。都市の新たな動向などに伴い都市計画上の配慮が、また労働市場の変化に伴い教育と労働施策の連携の強化が求められている。同時に、一般の青少年の育成施策と非行対策との相互の関連も強まっている。
(基本となる計画の作成)
 このような要請にこたえ施策の総合的な推進を図るため、政府においては、本報告を踏まえて、基本的な理念や中長期ビジョンなどを盛り込み、青少年の健全育成の基本となる計画(青少年プラン(仮称))を作成することが必要である。
 施策の推進に当たっては、ジェンダーの視点を踏まえることや、障害者に関する施策など関連する分野との連携が求められる。
 なお、青少年の健全育成のための課題や方策は多様であり、本報告で述べていないものも多いが、それらの重要性が低いというわけでは全くない。ここでの課題設定は、普遍的な課題が今日の日本の社会経済状況の下で現している様相に特に着目して行ったものである。また、基本的な対応の方向も、今後新たに特に重要となる方向性を示したものであり、今後とるべき施策を網羅的に取り上げたものではない。青少年の健全育成の基本となる計画の策定に当たって、ここで個々には取り上げていない施策についてもきちんと位置づけるべきであることは当然である。
(施策の推進方法)
 計画に基づく施策が実効性を持ちつつ着実に実施されるよう、政府において、関連施策の総合調整を行い、有効性等を評価するとともに、施策が健全育成に及ぼす影響を調査研究するための場を設けることが必要である。その過程で当事者である青少年自身の意見を聴取し参考にすることも重要である。
 また、言うまでもないことであるが、青少年の健全育成は政府だけでなく、社会を構成するすべての場において、組織として個人として取り組まれるべき課題である。家庭、地域、学校、企業などにおける取組が優先されるべきこと、安易に対応を政府に求めるべきではないことは多い。政府においても性急に介入することなく、青少年育成の自主的な取組が多様に展開されることを待つ姿勢も求められる。

Y おわりに
(社会の変化と育成の方向性)
 社会は急速に変化している。情報化、国際化、消費社会の進展、雇用や家庭の多様化、不安定化などの動きを考えると、青少年が大人として生きる将来の社会では、個人はより一層の自立が求められるものと予想される。したがって、我々は、青少年が今を充実して生きるとともに、将来に向けて、自己選択、自己責任、相互支援を担い、他者とのかかわりの中で自己実現を図る「一人前の大人」へと成長するよう支援しなければならない。
 そのためには、まず、青少年を、保護、教育を受けるだけでなく、自分の意見を持ち、自己を表現し、他者を理解し、他者に働きかけ、家庭や社会のために自ら行動する能動的存在としてとらえ直す、青少年観の転換が必要である。その上で、青年期に「一人前の大人」へと円滑に移行できるよう、乳幼児期から連続性をもって能動性を尊重し促進することによって、青少年の社会的自立を支援していく必要がある。また、より自己選択、自己責任が強調される社会においては、スタートラインにおいて既に不利な状況に置かれ、特に困難を抱えた青少年に対する特別な支援の必要性が一層高まる。そして、そのような支援が適切になされるには、青少年の実態について率直に語り合える社会風土が醸成される必要がある。
 このような考え方に立ち、本懇談会では、「青少年観の転換」、「社会的自立の支援」、「特に困難を抱える青少年の支援」、「率直に語り合える社会風土の醸成」の四つを基本的対応の方向性として提言した。さらに五つ目として、これら四つの方向性を明確にし、分野を超えて施策を総合的に推進するために、政府において基本的な計画を作成することを提言した。
(報告書の性格と今後の取組)
 本報告は政府への提言を念頭においてまとめているが、個別方策については、例示はあっても具体的な制度の創設や改正までの提言には至っていない。本懇談会に与えられた基本的な課題は、青少年の健全育成についての基本的な考え方と、将来の社会変化を見通した今後の対応についての大きな方向性を示すことだと考えたからである。方向性を具体的な方策へ展開させるために、今後、具体の制度を所管する省庁における更なる検討と内閣府における総合的な企画調整が望まれる。
 また、本懇談会では、現実の持つ多面性、あいまいさをできるだけ切り捨てずにとらえることとした。そのことにより、一見相反する意見や主張がいずれも一面のみに焦点を当て強調しているだけで相互に矛盾してはいないことが明らかになり、多くの国民が合意できる方向性を打ち出せたと考えている。その思考の過程をできるだけ報告書にも盛り込んだため、必ずしも分かりやすいもの、読みやすいものにはなっていない。青少年も含めた国民に伝えるためには、今後、我々委員一人一人に研究や実践のそれぞれの立場での取組が求められるとともに、政府においてもその内容を分かりやすく伝えるための工夫を望みたい。
(実態に応じた対応)
 もとより、青少年の健全育成は、政府だけがやることではない。育成に直接携わる親や学校を始めとして、この社会に生きる今の大人たちすべてが共有する責任である。家庭、学校、企業、民間団体、行政機関など社会を構成するすべての組織及び個人に青少年の健全育成への配慮が求められる。
 取組を進める上では、青少年が多様であることと、無関心・放任と過保護・過干渉のいずれも青少年の健全育成を阻害するものであることを考え併せると、個々の実態に応じた対応が不可欠である。そのような対応を支援する上で、一般的な警鐘は、過保護の戒めが親の放任を助長したり、無関心への戒めが過干渉を正当化してしまうなど逆に作用してしまう危険性も否定できない。個々の青少年に関して、その周囲にいる者が個々に判断して、育成のために最善と考えられる方策を選択できるように支援しなければならない。そのためには、選択の参考となる客観的な情報を提供するとともに、個々の状況に応じた柔軟な対応を妨げるものがあればそれを取り除いていくことが求められる。
(共に生きる者としての大人の責任)
 本報告では、青少年にどのような支援が必要かという観点から検討したため、ともすれば、彼らの抱える問題ばかりを取り上げることとなった。それらの問題は、基本的には今の社会の反映である。そして、この社会は大人と青少年が共に生き、共に形成する社会であるとはいえ、長所も短所も含め、今の社会により多くの責任を負っているのは、当然ながら、より長く生きてきた大人たちである。安易に青少年の考えや行動を非難する前に、そのことをまず我々大人は肝に銘ずべきである。
 しかし、悲観ばかりする必要はないのかもしれない。確かに、急速に変化する社会の中で彼らは、我々が青少年だった時代とは異なる困難を抱えている。だが、同時に我々とは異なる能力も身につけつつあるのではないだろうか。
 例えば、高度情報化の進展は、メディア環境、コミュニケ―ション環境を激変させ、青少年の時間や空間のとらえ方、人間観、世界観に大きな変化をもたらしている。集団的人間関係は不得手ながら、個人レベルでは携帯電話のメールなどによって絶えず他者とのコミュニケーションを欠かさない青少年は多い。若者の外国経験も増加し、インターネットの普及ともあいまって、身近な公共環境には無関心でも、インターネットなどを通じて世界あるいは遠隔地の情勢に直ちに反応してNGO活動に挺身するような若者もいる。彼らのコミュニケーションは、個人的でありながら、家族、地域を飛び越えて世界的ともいえる、一見逆説的な様式をとっているようにみえる。もしかしたら、彼らは、我々先行世代の思いもよらない方法と軽やかさで様々な障害を乗り越えていくのかも知れない。
 いずれにせよ、大人と青少年は共に現在の社会に生き、未来の社会をつくっていく仲間である。より長く生きてきた大人たちがより多く現在の社会に責任があり、より長く将来の時間を持っている青少年がより多く未来社会の形成に責任がある。我々大人にできること、しなくてはならないことは、基本的には次世代の力を信じ、彼らが試行錯誤の過程を経ながらも一人前の大人に成長することを支援することである。
 この報告書がそのような大人たちの取組を進めるための指針として役立つことを心より期待している。

補論:乳幼児の母親の就労の是非
 子どもの成長における乳幼児期の重要性にかんがみ、3歳未満の子の母親の就労について「望ましくない」との意見をもつ者が一般には多い。国立社会保障・人口問題研究所の第2回全国家庭動向調査(平成12年実施)によれば、「子どもが3歳くらいまでは、母親は仕事を持たずに育児に専念した方がよい」という考え方を9割以上もの妻が支持しており、しかも「まったく賛成」だけで過半数を占めている(資4-1-10)。30歳未満でも「賛成」は86%と多い。また、同研究所の第11 回出生動向基本調査(平成9年)によると、未婚女子の「理想のライフコース」は「両立コース」が27%、「再就職コース」と「専業主婦コース」を合計すると55%で、育児期に就労しないコースを理想とする者の割合の方が高い(資7-1-1)。
 しかし、国内外の様々な調査によると、乳幼児期の母親の就労の有無が子の成長に与える影響に有意な差はないという結果が多い。マイナスの影響を与える、あるいは逆にプラスの影響を与えるという結果は共に少ないが、中ではプラスの影響を与えるという結果の方がマイナスの影響を与えるという結果より多い。
(愛着関係と母親の就労)
 アメリカでは、母親の就労とそれに伴う保育が乳幼児の発達に及ぼす影響について1910年代から議論があったが、1951年、ボウルビーがWHOへのレポート「母性的養育と精神衛生」(Maternal Care and Mental Health)で、第二次大戦後の戦争孤児施設において多くの子どもたちにみられた様々な心身の発達上の問題が、特定の人物から愛情のこもったかかわりを一貫して受けることができないという「母性的養育の喪失」に起因していると指摘した。そして、「発達早期においては、母親が一貫して養育に当たるべきであり、母親との分離は最小限にすべき」と主張した。ボウルビーの提起した、特定の人物との間で安定した愛着関係(※32)を形成することが、個人の身体的・心理社会的発達と適応にとって不可欠という理論(アタッチメント理論)は、発達心理学や臨床心理学、精神医学、教育学など様々な領域に広範な影響を与えた。しかし、その後の多くの実証研究の結果、母親の就労の有無によって子の愛着関係の発達にそれほど大きな差異はみられないことが明らかになり、ボウルビー自身も「主要な養育者が不在のときは二次的養育者が子どもの要求を満たすことができる」と愛着関係の対象を唯一母親に限る考え方を変更している。

※32 Wの「1 乳幼児期」(14頁)参照。

(国外の研究結果)
 「保育が子どもの発達に及ぼす影響に関する研究(平成13年度厚生科学研究・主任研究者網野武博)」では、1980年代から現在までの約20年間の国内外の調査研究文献を分析している。国外文献94点のうち、保育が子どもの発達にプラスの影響をもつという分析が16点、マイナスの影響をもつという分析が7点、残りの71点は有意な差は出ていないというものであった。
 マイナスの影響をもつという研究の代表的な例は、アメリカのベルスキーによるもので、乳児期から保育を経験することは母子の愛着関係を不安定にする危険性が高いとの知見である。これが論争の発端となり、1980年代後半から多くの実証研究が行われた。
 中でも、アメリカの国家的プロジェクトとして国立小児保健・人間発達研究所(NationalInstitute of Child Health and Development)が1991年に開始した早期保育研究(EarlyChild Care Research Network)は、全米24の病院で1991年に生まれた子ども1,364名を追跡調査した大規模な縦断調査である(資7-1-2)。7歳までの追跡調査の結果に基づき生後3年間の保育と子どもの発達との関係を分析した「乳幼児保育に関するNICHDの研究」によると、愛着関係の安定性に関連しているのは、保育経験(質、量、入園時期など)ではなく、母親の敏感性(子どもの状態や欲求を敏感に察知する)と応答性(子どもの欲求に適切に応答する)であることが明らかになった。また、母親の敏感性や応答性が低く、かつ、質の低い保育を受けているか、又は複数の保育(二重保育)であるような場合は、安定した愛着関係が形成されにくいということも明らかになった。また、保育の質(積極的な言語的な刺激と子どもと保育者との相互作用の多さ)と子どもの認知・言語発達や就学レディネス(就学準備性)との間で関連がみられた。しかし、家計や家庭環境などの方が認知・言語発達とは強い関係にあった。一般的に言えば、長時間保育を受けていても主に母親が育児をしていても、保育の要素よりも家族の特徴と母子関係の質の方が子どもの発達に強い関連性をもっていた。
 また、アメリカの青年全国縦断調査(National Longitudinal Survey of Youth)は、1979年に14歳から22歳までだった1万2,600名を対象とした追跡調査であり、1986年から1994年まで女性被験者の子(3歳から12歳) についても調査を実施しているが、その分析の結果、生後3 年間における母親の就労は、それだけでは子の発達に対して有意な効果はみられないこと、シングルマザーや低所得家庭の子の認知発達にとっては、ある程度有益であることが明らかになった(資7-1-3)。
(日本での研究結果)
 国内文献では、39点のうち、保育が子どもの発達にプラスの影響をもつという分析が255点、マイナスの影響をもつという分析はなく、残り37 点はどちらともいえないというものであった。
 母親と分離して早期に保育を受けることによる発達への悪影響を懸念しての調査研究は昭和50年代後半に多いが、それらの結果からは、ある一時点ではむしろ集団保育を受けている子どもの方が養育が良好である点も見いだされ、成長が進むにつれそれらの差異がなくなることが確認されている。
 国内で行われている縦断研究では、昭和59年から61年にかけて神奈川県の市立病院の産婦人科を受診した者のうち1,260名を追跡した、菅原ますみ他による調査が規模・期間とも最大であるが、生後11年目の回収313世帯、15年目の回収270世帯の調査結果でみる限り、3歳未満の母親の就労が児童期の問題行動や親子関係の良好さとは関連しないことが明らかになった。むしろ母親が就労している方が、問題行動が少なくなることが示唆されている(資7-1-4)。
 なお、厚生労働省が平成13年に出生した子どものうち約5万人を対象に「21世紀出生児縦断調査」を開始しており、今後の調査結果が期待される。
 また、母親の就労と乳幼児の発達の関連についてではないが、母親の就労と育児不安の関連について、専業主婦の方が有職者より育児不安が高いという調査がある(資3-1-7)。
(母親の就労の是非論を超えて)
 調査結果から分かることは、子どもの成長は、母親のかかわり方、保育サービスの質などによって大きく異なり、母親の就労の有無というような単一の要件だけで左右されるものではないということである。
 また、非労働力化している女性のうち就業を希望する者は労働力率の低い30 代に多く、労働力人口にこれらを加えて算出した潜在的労働力率は、子育て期の女性でも7 割以上ある(資4-1-11)。生産年齢人口の減少がいわれる今必要なことは、母親の就労の是非論を超えて、母親や父親が子との愛着関係形成や子育てを行う責任を前提とし、それが確実に行われるよう社会が支援していくことではなかろうか。具体的には、母親の就労の有無を問わず両親などの保護者が安心、安定して子とかかわり、育てることができる環境整備と、保育サービスが利用される場合にはその質を確保することである。
(保育所と幼稚園)
 以上の研究は、主として3歳未満の子の母親による家庭での養育と保育所での養育を比較したものであるが、3歳以上は、家庭養育のみではなく幼稚園に通う子どもが増え、我が国では幼稚園に通う子どもは全体の半数近くいる。近年は子育て支援のニーズにこたえ、通常の利用時間の前後に行う「預かり保育」を約6割の幼稚園で実施している。
 近年、イギリス、スウェーデン、ニュージーランドなどで幼稚園と保育所を一元的に教育所管省の所管とする改革があり、我が国でも同様の改革を提言する意見がある。これらの国では、保育所は職員資格、費用助成、保育内容についての指導などの質を確保する仕組みが教育施設と比べると十分でなかった。これに対して我が国の保育所は、職員資格、配置、内容についての国の指導、助成など、質を確保する仕組みが充実している。
 保育士資格と第2種幼稚園教諭免許を例えば短大での最低習得単位で比較すると共通の科目が多く、単位数は保育士の方がやや多い(資7-1-5)。認可保育所の最低基準と幼稚園設置基準を比べると、職員配置は保育所の方が多い(資7-1-6)。また、内容についての指導について保育所保育指針と幼稚園教育要領を比較すると、健康、人間関係、環境、言葉、表現に関する5領域を習得させる点で共通しているが、保育所は教育だけでなく養護を行うことから保育所保育指針には「生命の保持等」も含まれている(資7-1-7)。費用については、保育所は所得に応じて異なる保護者の負担額を除いた額の半分を国が負担しており、幼稚園は市町村が行う保護者負担額の減免措置に対して国が補助している(資7-1-8)。
 保育所は3歳未満児も対象としていること、保育時間が長いことから教育と共に養護も必要であることなどの特性をもっている。一方、幼稚園は教育施設であること、母親の就労の有無にかかわらず利用できることなどの特性をもっている。これら両施設の特性を踏まえつつ、市町村などが子どもの育成のための取組を総合的に行えるよう、保育所と幼稚園の施設の共用化、保育士と幼稚園教諭の両資格を共に取得しやすいような履修科目の見直し、保育所保育指針と幼稚園教育要領の内容の整合性をとるための見直しなどが進められてきている。今後とも地域の実情に応じて両施設の連携強化や一体的運営を可能な限り容易にする方向で見直しが求められる。

補論:「学力低下」について
1 学力低下をめぐる議論
(学力低下への不安)
 バブル経済崩壊後、転換期にある我が国の社会経済が今後とも持続的に発展していくために、将来の担い手となる青少年には国民の間から大きな関心が寄せられている。しかし近年、青少年の学力の低下を懸念する声が多く聞かれるようになった。
 平成14年に社団法人日本PTA全国協議会が実施した調査は、子どもの学力低下について保護者の4人に3人が心配しているとの状況を示している(「かなり心配」25%、「多少心配」49%)(資4-2-6)。また、平成12年の科学技術庁調査によると、企業の53%が新規採用者の資質が「下がっている、どちらかというと下がっている」との印象をもっており、中でもその半数以上が、「独創性・創造性」と並び「基本的知識・技能」の点で新規採用者の資質が低下したと感じている(資3-3-12)。
 平成14年度には、子どもたちがゆとりの中で様々な活動を経験する機会の増加を目指した「完全学校週5日制」とともに、教育内容を削減した「新学習指導要領」(※33)が全面実施された。これに伴い、現在の義務教育課程の標準授業時数は7%減少した。30年前に比べ、小学校では454時間(8%)、中学校では595時間(17%)の減少となっている(資3-2-5)。
 こうした動きに対し、子どもたちの学力低下傾向を懸念する声が高まっているところである。
(「学力」をめぐる議論)
 近年の経済構造の変化や急速な少子高齢化、国際化、情報化といった大きな社会変動の中で、今日「学力」が意味するものは、必ずしも自明のものではなくなっている。従来多くみられたのは、読み・書き・計算など、ペーパーテストで測定可能な知識・技能量を学力を表す重要な指標と考える学力観である。その一方で、今後必要とされている学力とは、知識の量や理解の程度、技能の習得のみならず、基礎的・基本的な内容を確実に習得した上に、更なる知識や技能を身につけ、自分で課題をみつけ、自ら学び考える力の総体であるとの見方もある。
 しかし、両者の学力観は、基礎的・基本的な知識や技能の確実な習得が、生きていく上で不可欠な力であることについて何ら相違はない。

※33 Wの「2 学童期」(21 頁)参照。

2 データでみる子どもたちの学習状況
(学習状況)
 児童・生徒の学習の状況については、参考になるいくつかの調査がある。平成12年度にOECDが初めて実施した15 歳を対象とする学習到達度調査(PISA)では、数学的リテラシー(1位)、科学的リテラシー(2位)及び総合読解力(8位)ともに我が国は上位を占めている(資4-2-7)。また、国際教育到達度評価学会(IEA)による国際数学・理科教育調査では、小・中学校レベルとも算数・数学及び理科については過去4回の調査にわたり5位以内に位置しており、国際的に高水準にあるといえる。しかしながら、順位について我が国は低下傾向にあること、また、調査対象となっている東アジア地域の国々の中では下位にあることを懸念する声もある(資4-2-8)。
 国立教育政策研究所が実施した「平成13年度小中学校教育課程実施状況調査」については、平成13年度までの学習指導要領の目標や内容に照らした児童生徒の学習状況は、結果評価の基準となる設定通過率(※34)との比較において全体としておおむね良好との見方がある(資4-2-9)。一方、平成5〜7年度にかけて実施された前回調査での同一問題の通過率を比較すると、小学6年の理科、中学3年の国語及び英語は上昇しているが、社会、算数・数学は中学3年を除き全学年で低下しており、学力の低下がうかがわれるとの見方もある(資4-2-10)。

※34 Wの「2 学童期」(22 頁)参照。

(関心・意欲)
 一方、学習に対する関心・意欲という面では、我が国の児童・生徒は低いレベルにあり、子どもたちの学力の今後を展望する上で大きな懸念材料となっている。PISAの結果によると、平成12年における日本の15 歳の宿題や自分の勉強をする時間は一日当たり24.9分で、調査に参加した27か国中最下位であった(資7-2-1)。また、学校外における学習時間も年々減少している(資3-2-15)。さらに、IEA調査によると、数学及び理科が「大好き」「好き」と答えた日本の生徒の割合はそれぞれ48%、55%で、前回調査からそれぞれ5 ポイント、1 ポイント下げるとともに、国際平均値の72%、79%を大きく下回った(資4-2-11)。このように、日本の子どもの学習意欲は低下傾向にあり、また、国際的にみてもかなり低いレベルにある。
 また、学校の授業が「よくわかる」「だいたいわかる」の割合の合計が、小学生では68%だが中学生では44%と半分を切り、高校生では37%と年齢が進むほど低くなる(資7-2-2)。
 さらに、高校生においては、22年前に比べて、授業が「難しすぎる」と思っている割合が6ポイント上がると同時に、「やさしすぎる」と思っている割合も10ポイント上がるなど(資4-3-11)、学力水準の拡散もうかがわれ、学力階層の分化を懸念する声もある。

3 今後の方策
(学習の意義を伝える必要性)
 高学歴であることが将来にわたる幸福と安心を必ずしも保証するものではないという現実認識が広がり、将来に明確な希望がもてない時代となった。一方、フリーターであっても親元で不自由なく生活していけるという安心感も広がった。今日、子どもや若者が学習への強い動機づけを失っている様子がうかがわれる。しかし、学ぶべき時期に基礎知識・技能をしっかり習得することは、将来の社会的自立に向けて、人生における選択肢を広げる上で必須である。こうした現実を子どもや若者にきちんと伝え、彼らを学習の場へと呼び戻す努力が求められる。
(学習への動機づけと環境整備)
 それには、学校においては授業を分かりやすくする努力など様々な学習への動機づけを工夫することが必要であり、一人一人の個性や能力をできる限り伸ばしていくことの可能な学習環境整備が必要である。
(選択・競争・情報公開)
 そのための方策として、教育の分野に選択機会や評価制度を導入することにより競争をもたらすべきとの意見がある。
 具体的には、小・中学校の通学区域を廃止し、自由な学校選択を可能にすることにより、児童・生徒や保護者に学校を選ぶことへの責任意識、ひいては学校教育に対する意識の向上を期待するというものである。同時に、学校側においても競争原理が働き、各学校による創意をいかした特色ある教育が推進されることを期待するとの見解である。
 また、授業内容の公開により教授能力の質的向上と指導方法の改善を図り、習熟度別指導等により一人一人の能力を伸ばすべきとの意見もある。中学・高校にも、大学と同じように、生徒による教員の評価や学校の方針に対する外部評価(PTA、弁護士などを含む)を取り入れることが魅力ある学校づくりにつながるとの意見もある。
 さらに、学校長に人事・予算など学校経営の全般にわたる大きな権限と責任を与えるこ
とで、教育力がある教員の待遇を高めるなど、各学校の状況に応じた学校運営を可能にす
るべきとの意見もある。
(少人数授業・複数担任・教員のゆとり)
 これらに対しては、学校や教員に競争や評価を導入することが教員を更に忙しくさせることにつながり、これまでの長所であった協働性や同僚性(※35)などの教員文化を解体させかねないため、望ましくない効果をもたらし、また、小・中学校段階での選択制は、特色ある学校の実現というより学校間格差をもたらすとの主張がある。
 むしろ、例えば少人数学級化・教職員配置の一層の充実や、教員が授業に集中できる支援体制の充実など、人的・物的な条件を整備することで、個別化した学習ニーズに対応する少人数授業や複数担任制を可能にし、また、授業方法・教材改善のための創意工夫の時間と余地を教員に確保することが求められているとの見解である。
 いずれにしても、一斉授業、集団指導という従来の学校教育の在り方から、一人一人の個性や能力など個別化したニーズに対応する新しいシステムへの転換を遂げるためには、従来の手法にとらわれない新たな視点による方策が不可欠であり、地域の実情に応じて対応されるべきであろう。

※35 教員が相互に助言・援助し合って指導上の困難を克服したり、教授の技量を向上させたりする、職場における連帯のこと(Collegiability)。

補論:少年犯罪について
 そもそも犯罪というものは、被害者の身体・財産等を傷つけたり、心理的なダメージを与えたりするものであり、事後的に償いがなされても、実質的には取り返しがつかないものである。およそ犯罪は可能な限り減少させるよう努力し続ける必要がある。特に少年犯罪については、被害者や関係者等に大きな衝撃を与えるだけでなく、当事者の少年の健全育成にとっても極めて大きな障害となるものであり、適切な対応方策を講じることは重要な課題である。
 少年は、特に思春期に入ると、あふれるエネルギーを持ちながら問題解決力が未熟であるというアンバランスさを抱え、様々な葛藤に直面することにより、逸脱や不適応を起こしやすい不安定な時期を迎える。少年犯罪対策は、このような少年期の特質を踏まえながら効果的に行う必要がある。
 また、少年犯罪の発生には、複雑な要因が絡み合っており、特定の現象が主たる要因であるかのように安易に結びつけるべきではない。少年犯罪には、その時々の社会情勢等も反映されており、ある特定の生育環境にあるかどうかや、ある特定の経験をしているかどうかなどといった個別的な事情だけで説明するのは無理がある。同様に、検挙される少年の数の増減に関しても、特定の社会現象との関連だけで説明するのは適切ではない。このため、社会構造の中で生じている諸様相を視野に含めた総合的なとらえ方の中で対応方策を考えていく必要がある。
 少年犯罪については様々な見方や議論があるが、ここでは各種の調査等に基づいて状況を把握し、対応の方向性を考えていく。
 なお、この補論においては、特に断りのない場合、少年法の適用がある20歳未満の青少年を「少年」と称しているが、「1 少年犯罪の動向と特徴」においては、刑事責任年齢に達しており、かつ少年法の適用がある14歳以上20歳未満の者についての統計数値を示している。

1 少年犯罪の動向と特徴
 少年犯罪が増加しているか減少しているか、あるいは、凶悪化しているか否かといった現状認識については見解が分かれている。この理由としては、多様な罪種(※36)ごとに状況が異なること、長期傾向をみるか短期傾向をみるかにより変わること、統計には様々な技術的限界があり完璧なものとはなり得ないことなどが考えられる。これらを踏まえ、以下で少年犯罪の動向と特徴を概観する。
(刑法犯の検挙人員の人口比は増減を繰り返し長期的に一貫していない)
 戦後の刑法犯全体(※37)の推移についてみると、少年の検挙人員の人口比(同年齢層の人口1,000人当たりの検挙人員)は、その時々の社会情勢等を反映して増減を繰り返している。成人の人口比はおおむね一貫して減少してきたのに対し、少年の人口比は長期的に一貫した傾向というものはみられない(資7-3-1)。しかし、最近の10年程度に着目すれば、増加傾向を示しているといえる。
 なお、犯罪には、認知はされていても検挙されない場合があるため、実際の犯罪を犯した人員やその人口比は、どの年代においても検挙人員やその人口比よりも高いはずである。特に平成元年から窃盗犯を中心に検挙率(※38)が低下してきているため、資7-3-1でみられる検挙人員の人口比よりはかなり高いとみるべきであり、最近の増加傾向はより深刻であるという指摘もある。
 一方で、戦後の混乱期には、犯罪が起こっても現代ほど的確に把握されなかったであろうといったことや、例えばかつての村社会において顔見知りの少年が畑から作物を盗んでも警察へ届け出る場合は少なかっただろうといったことも考えられる。このため、都市化がかなり進む以前はいわゆる暗数が大きいと推測され、現代の数値を深刻に見過ぎない方がよいのではないかという指摘もある。

※36 主な罪種については、以下のとおりである。
・凶悪犯 … 殺人、強盗、放火、強姦
・粗暴犯 … 暴行、傷害、脅迫、恐喝、凶器準備集合
・占有離脱物横領 … 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領する行為(例えば、持ち主の管理の下から離れた放置自転車を自分の物として使用するような場合が該当する)
※37 道路上の交通事故に係る業務上(重)過失致死傷罪を除く。
※38 刑法犯全体と、少年犯罪において比率の高い窃盗犯、占有離脱物横領について検挙率の推移をみると、おおむね以下のとおりとなっている。
・刑法犯全体 … 昭和30年代から長く60%前後で推移してきたが、平成元年から低下傾向にあり、平成13年には19.8%となっている。
・窃盗犯 … 昭和30年代から長く50〜60%前後で推移してきたが、平成元年から低下傾向にあり、平成13年には15.7%となっている。
・占有離脱物横領 … 一貫して100%に近い水準で推移してきている。

(刑法犯以外の犯罪は道路交通法違反が多い)
 道路上の交通事故に係る業務上(重)過失致死傷罪の少年の送致人員は、平成13年で4万218人(人口1,000人当たり4.6)である。
また、刑法犯以外の犯罪のうち、平成13年の道路交通法違反の少年の取締総数は、61万842人(人口1,000 人当たり70.2)である。また、平成13年の薬物事犯の少年の検挙人員は、覚せい剤乱用では946人、麻薬・向精神薬の乱用では11人、大麻の乱用では176人、シンナー等の乱用では3,071人である。
(検挙人員は窃盗犯と占有離脱物横領で刑法犯の約8割)
 検挙人員の罪種別内訳をみると、昭和50年代以降は窃盗犯と占有離脱物横領とを合わせた比率が刑法犯全体の80%前後で続いている(資7-3-2)。
 昭和40年代には凶悪犯が3%を超え、粗暴犯が20%を超えておりこれらの比率が比較的高かったが、その後平成に入るまでは低下した。最近の10年程度においては上昇傾向に転じ、平成13年には凶悪犯が1.5%、粗暴犯が13.3%の比率となっている。
(窃盗犯は14〜15歳、凶悪犯は16〜17歳で検挙人員の人口比が高い)
 14〜15歳、16〜17歳、18〜19歳ごとの年齢段階別、罪種別に昭和35年以降の検挙人員の人口比の推移をみると、刑法犯全体は、ほぼ各年代を通じて低い年齢の少年ほど高くなっている。増減については、14〜15歳の増減が大きく影響している(資7-3-3)。
 窃盗犯は、刑法犯全体と同様の傾向にある。(資7-3-4)。
 粗暴犯は、昭和40年代後半までは高い年齢の少年ほど高かったが、昭和50年代後半から順序が逆転し、近年まで低い年齢の少年ほど高くなっている。増減については、昭和40年代後半までは、特に16〜17歳、18〜19歳の低下により全体の水準が低下した。50年代後半以降、14〜15歳の増減を反映していったん大きく増加した後、平成に入るまでは低下した(資7-3-5)。
 凶悪犯は、平成に入るまでほぼ一貫して高い年齢の少年ほど高かったが、最近の10年程度は16〜17歳が一番高くなっている。増減については、平成に入るまでは、特に16〜17歳、18〜19歳の低下により全体の水準が低下した(資7-3-6)。
 最近の10年程度の少年犯罪の増加傾向に関しては、14〜15歳、16〜17歳の窃盗犯、14〜15歳、16〜17歳の粗暴犯、16〜17歳の凶悪犯(特に強盗)の増加が目立っている。このため、特にこれらの年齢段階の少年の社会的不適応の背景に着目していく必要がある。
(ほとんどの世代で18〜19歳から成人期にかけて検挙人員の人口比は低下する)
 出生年ごとにみた各世代の者について、年齢段階ごとにみると、刑法犯の検挙人員の人
口比は、ほとんどの世代でおおむね加齢に従って低下し、特に18〜19歳から大きく低下し
ている(資7-3-7)。
 罪種別では、窃盗犯はおおむね刑法犯と同じような傾向がみられる(資7-3-8)。凶悪犯は少年期にはおおむね加齢に従って上昇するが、成人期になると低下する(資7-3-9)。また、粗暴犯は、戦後復興期に生まれた世代では、加齢に従って上昇し成人期になるまで低下しない傾向もみられたが、昭和30年代に生まれた世代から16〜17歳が最も高くなり、昭和40年代以降に生まれた世代からは加齢に従って低下する傾向へと変化している(資7-3-10)。
 比較的検挙人員の人口比が高かった世代も含めほとんどの世代において、18〜19歳から成人期にかけて犯罪が減少し落ち着いていく傾向にある。10代半ばの時期に犯罪を犯した少年の多くが、成長につれて心理的にも落ち着き、事件を起こさなくなっていく様子がうかがわれる。
(強盗の検挙件数については共犯事件が増加傾向)
 共犯形態について昭和51年以降の推移をみると、刑法犯の検挙件数については大きな傾向の変化はないが(資7-3-11)、強盗の検挙件数については、最近の数年を除き、単独犯が減少し、2人組や3人以上の組が増加傾向にある(資7-3-12)。また、少年院新収容者の共犯者数別構成比についても、昭和57年以降の推移をみると、単独の者が減少傾向にある(資7-3-13)。このように、強盗などの重大な犯罪においては、共犯事件が増加する傾向にある。
(欧米諸国に比較し我が国の検挙人員の人口比は相対的に低い)
 1987〜1996年の18歳未満の少年の検挙人員の人口比(※39)について、欧米諸国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ)と比較すると、我が国における少年犯罪の水準は低い。1996年の主要な犯罪においては、4か国中一番低いアメリカの約2分の1、一番高いドイツの約5分の1である(資7-3-14)。特に、殺人及び強盗では極めて低くなっている。

※39 18歳未満の少年について、10歳以上18歳未満の人口10万人当たりの検挙人員の比率である。ただし、アメリカは、10歳以上18歳未満の少年についてであり、イギリスは、1992年以前は、10歳以上17歳未満の少年について、10歳以上17歳未満の人口10万人当たりの検挙人員の比率である。

2 非行少年の特徴
(1)非行少年全体の特徴
 非行少年といっても犯した罪種も様々であれば、生育歴も抱えている問題も様々であるため、個々には多様な特徴を持ち合わせており一様にはとらえられないが、以下では非行少年の全体としての特徴を挙げてみたい。
(人との愛着関係と自尊感情の形成に支障)
 「青少年の社会的適応能力と非行に関する研究調査」(平成13年9月内閣府)によると、愛してくれる人や愛している人の有無、親しい友人の数について、一般少年と補導少年とを比べると、いずれも補導少年の方が少なく(資7-3-15)、人との愛着関係の形成がうまくいっていない。また、もし悪いことをして警察に捕まった場合にどのような負の影響があるかについては、補導少年の方がより社会的に失うものが少ないと考えており (資7-3-16)、自己評価が低い。友人や、両親・先生からの評価についても、補導少年の方が気にかけていない(資7-3-17)。
 これらの結果から、非行少年は人との愛着関係の形成や自尊感情の形成に支障が生じていることがうかがわれ、これらは相互に関係しながら社会への不適応につながっていると考えられる。
(規範意識が低い)
 「青少年の暴力観と非行に関する研究調査」(平成12年3月総務庁)によると、非行少年の方が暴力を振るわれる人に非があると考えたり、仕返しのためのけんかなら加わるのは当然と考えるなど、暴力を正当化する傾向にある。また、「青少年の社会的適応能力と非行に関する研究調査」(平成13年9月内閣府)によると、補導少年の方が相手に非があれば力づくでも相手にそれをわからせるようにする傾向がある(資7-3-18)。
 これらの結果から、非行少年は暴力を悪いことと考える規範意識が低く、状況によって肯定してしまいやすいことがうかがえる。
(行動をコントロールする力が弱い)
 「青少年の社会的適応能力と非行に関する研究調査」(平成13年9月内閣府)によると、補導少年の方が自分と異なる考えをよく聞いたり、間違いを指摘したり、話し合いで解決したりせず、本当に親しい人以外の人とのかかわりを避ける傾向にあり(資7-3-19)、人とのコミュニケーション能力が低いことがうかがえる。また、補導少年の方が怒りを押さえて振る舞ったり、周りの人の迷惑を思って我慢したりせず、友人から何か頼まれたら良くないと思ってもその通りにしたり、自分がやりたいことは周りが反対してもやる傾向にあり(資7-3-20)、行動をコントロールする力が弱いことがうかがえる。
 これらの結果から、非行少年は人とのコミュニケーション能力が低く、行動をコントロールする力が十分に身に付いていないことがうかがわれる。このため、問題に直面しても適切な解決を図れずに反社会的行動や非社会的行動を起こしていると考えられる。

(2)重大な事件を起こした非行少年の特徴
 各種の調査・研究に基づき、以下では特に重大な事件を起こした少年の特徴を挙げてみたい。
(少年院収容者に関する調査)
 法務省矯正局が少年院新収容者を対象に行った調査(※40)によれば、「殺人等グループ」の少年は、非行の主な原因として「精神発達の未熟」が最も多く挙げられており、少年の傾向として、性格面では「情緒性の欠如」、「わがまま」が、行動面では「対人接触の不得手」が特に多く挙げられている。また、「傷害致死グループ」の少年の傾向としては、性格面では「軽率」が、行動面では「付和雷同」、「忍耐力の欠如」、「自己顕示的」が特に多く挙げられている。

※40 「現代の少年非行を考える」(法務省矯正局編 平成10年)に掲載されている調査。調査対象は、平成9年1月から10年3月までの少年院新収容者のうち、少年院送致となった事件名に「殺人」「殺人未遂」「強盗致死」のいずれかがあった少年37人(殺人等グループ)及び「傷害致死」があった少年91人(傷害致死グループ)。

(家庭裁判所の少年事件に関する研究)
 家庭裁判所が取り扱った重大な少年事件について家庭裁判所調査官研修所が行った研究(※41)によれば、単独で重大事件を犯した少年には、@幼少期から問題行動を頻発していたタイプ、A表面上は問題を感じさせることのなかったタイプ、B思春期になって大きな挫折を体験したタイプの三つのタイプがある。いずれのタイプにも共通する特徴として、@観念的な思考が目立ち、具体的な解決能力が劣ったり柔軟性の乏しさがあること、A他人への共感性がないだけでなく、自分の気持ちを表現することもできないこと、B自己イメージが悪く、社会を脅威に感じていること、C男らしさイコール攻撃性という歪んだ男性性へのあこがれをもっていることなどが挙げられている。
 また、集団での重大事件を起こした少年の特徴として、@組織性の乏しい集団でまとまりや忠誠心がないこと、A自分たちの集団とは価値観の違う者に暴力が向かい、暴力が集団の目的になることなどの集団的な要因と、B他のメンバーに映る自分の姿を強く意識していること、C劣等感を背景に、暴力により優越・支配欲求を満足させたり、自分の弱さを否定するために暴力をエスカレートさせることなどの心理的な要因が作用し、暴力の歯止めがかからなくなっていることが挙げられている。

※41 「重大少年事件の実証的研究」(司法協会 平成13年)。調査対象は、平成9年から平成11年までの3年間に起きた事件の中から取り上げた、単独で殺人事件を起こした少年10人と集団で殺人事件又は傷害致死事件を起こした少年10人。

3 対応の方向性
(各年齢期を通じた総合的な取組)
 少年が犯罪事件を起こすことは可能な限り防ぐべきことであり、上記1及び2を踏まえ、様々な取組を行う必要がある。
 少年犯罪対策においては、深刻な状況に至る前に少年の問題状況を把握し、適切な働きかけを行うことが少年にとっても望ましい。このため、補導活動や少年事件捜査の体制、犯罪を犯した少年の処遇体制を充実させていくことが重要である。特に、少年の多くが思春期を過ぎると犯罪を犯さなくなる傾向があることや、凶悪犯の割合がそれほど高くないことを考え合わせると、犯罪を抑止的に防止することと併せて、事件を起こした少年への適切な配慮や保護により円滑に社会に適応させることが、将来の成人の犯罪発生率を抑制する観点からも重要である。
 その上で、より根源的な対応としては、すべての少年がそもそも犯罪を志向しないよう最大限努力することが重要である。
 このための重要な課題として、少年に規範意識や行動をコントロールする力を習得させることがある。犯罪行為は社会の一員として行ってはならないことであり罰せられること、被害者や関係者を傷つけたり悲しませる行為であることを教える必要がある。同時に、知識としてではなく行動に反映されるものとなるよう規範を内在化させるための支援が必要である。年齢段階に応じた多くの人とのふれあい、集団遊び・集団活動、社会に参画し様々な試行錯誤をすることなどを伴うことによって、規範意識や行動をコントロールする力を強化することができる。特に、集団による重大な犯罪については、仲間への過剰同調やその場のノリに引きずられたことが特徴として指摘されており、このような対応が求められる。あわせて、少年が、人間への基本的信頼や愛情を持ち、さらには自尊感情を持てるような心理基盤を得られるようにすることが必要である。
 また、犯罪の予防や更生のためには、若者の内面に対応するだけでは不十分であり、雇用環境等の改善を図り少年が将来に対して明るい展望を持てるようにすることが必要である。犯罪を犯した少年は、同年齢層の少年全体に比べて無職少年の割合が高く、また、学歴が高くない者の割合が高い。これらを踏まえると、近年の若年労働者の失業率の上昇や、中学・高校新卒者の就職内定状況の悪化などの状況が懸念される。多様な進路や生き方の選択が可能となるよう、職業教育、職業能力開発の機会や学校・職場に代わる社会訓練の機会の充実が必要である。
 少年を犯罪に向かわせないために必要とされるこれらの諸課題は、まさに、本文のWにおける乳幼児期から青年期にかけての青少年の育成課題でもあり、各年齢期を通じた総合的な育成の取組そのものが根源的な少年犯罪への対応へとつながるといえる。特に、思春期から青年期にかけては、帰属意識を持てる場や自分らしく過ごせる場があることが、あふれるエネルギーを前向きにいかすためには重要である。家庭、学校、職場だけでなく、そこに自分の居場所を見いだせない者も含め少年たちにとって、物理的にも心理的にも居場所となる場所づくり・空間づくりを支援していくことが必要である。
(リスクが高い状況から少年を守る)
 同時に、社会的な逸脱や不適応を助長しやすく、抑止しにくい状況に置かれている少年たちがいる事実から目をそらすべきではないだろう。
 リスクが高い状況は、少年本人の努力だけではとても解決できないものがほとんどであり、育った家庭が生活や子育てに非常に困難な事情を抱えている場合や、少年自身が発達上の障害をもっている場合などがある。また、家族からの虐待やその他の暴力被害を受けている場合もあり、これらの悪い状況が重なることも少なくない。
 このような状況の下で、成長の過程で適切な働きかけを得られず、人間への基本的信頼や自尊感情が十分にはぐくまれなかったり、葛藤を抱えた際に適切な支援を得られなかったりすると、疎外感を強め、社会的不適応を起こしやすくなる。
 もちろん、リスクが高い状況下にあっても健全に成長している少年が大多数であり、逆境をばねにして現在の日本社会を指導する大人に成長した人たちも少なくない。したがって、そのような状況下にある少年自身が犯罪性向が高いとか、その多くが犯罪や逸脱を起こすかのような誤解や偏見をまねかないよう細心の注意を払うことが必要である。その上で、少年自らの力では解決しにくい外部的な環境の改善や困難性の軽減を図り、逸脱や不適応が深刻化する前に措置を講ずることが、少年をリスクから守るために極めて重要な視点であるといえよう。
 特に家庭環境の問題については、小規模化により一般の家庭でも様々な支援を必要としている現在、困難を抱えた家庭はなおさら社会的な支援なしでは問題解決は期待しにくい。
 なお、少年院在院者の家庭では、「近隣からの孤立」が増加する傾向にあることも指摘されており(資5-3-5)、特別の支援が少年や家庭を地域で孤立させる方向に向かわないよう十分な配慮が必要である。
(公的部門・民間部門を通じた支援のための場や人材の充実)
 これらを踏まえ対応方策を講ずるに当たっては、多様な特性や事情を抱える少年や家庭に対して、適切な時期に適切な支援が行われるよう、公的なものだけでなく民間協力者等も含めた以下のような場や人材を充実させ、多様な支援の機会が提供されるようにすることが必要である。そのためには、専門家や篤志家だけでなく、地域住民の理解や取組も求められる。
<場の例>
 遊びや教育のための場、一時的な居場所となるような場、相互支援活動を担う民間団体、補導機関、警察・福祉・教育・保健・医療・労働等の各種の相談機関や専門機関、児童自立支援施設・矯正施設・更生保護施設などの公的施設 など
<人材の例>
 生活場面で種々の支援を行う市民ボランティア、児童委員・少年補導(委)員・保護司等の民間協力者、児童・思春期の心理・保健・医療の専門家 など



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